コラム

   

今月のひと言

当社のコラム担当 「今が好き♪」 氏のコラムです。毎月連載します。

    
2008年 12月号 「ビエンチャン」
11月号 「ハノイ」
10月号 「航空券」
9月号  「CTG」
8月号  「ベジタリアン」
7月号  「たばこ自販機」
6月号  「同窓生」
5月号  「女性専用車」
4月号  「花粉症」
3月号  「カーナビゲーション」
2月号  「電子力発電」
1月号  「世界最高齢」
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12月号 「ビエンチャン」

 前号ハノイでの予定を終えて4日午後ラオスの首都「ビエンチャン」へ。空路1時間20分、この間は山岳地帯で直通陸路はありません。夕刻ワッタイ国際空港着、現地IT企業社長の出迎えを受け、都心のラオ・プラザ・ホテルまで車で15分、いたって便利な空港立地です。どこかの成田空港のように都心から遠く不便な国際空港が他にあるのでしょうか。

 ハノイとは別天地、街のたたずまいも静かで、ほっとします。ホテルには小泉首相宿泊時の写真が掲示され、国内最上級のホテルであることが分かります。部屋からすぐ近くに運動場が見えて、市民グラウンドといった感じですが唯一の国立競技場とのことです。国の人口600万人、わが国はODAの最多援助国ですが、三輪タクシーが市民の足、鉄道もなく社会インフラの整備にはまだまだお金と時間が必要なようです。

 ホテルでの荷解きを終えて、夕食の場所に。JICA資金で建築した文化教育センター(Lao-Japan Traditional Cultural Educational Center)にお呼ばれで、現地人センター長ご家族総出の歓迎下、家庭料理をご馳走になりました。センターにはラオシルクの織機、民具などを展示した博物館、手織りシルクの売店も併設され、お礼に私を含め何人かが170ドルのショールを奥方のお土産に購入し、喜ばれました。因みに日系企業で働く女子社員の月給は50ドル、国の最低賃金基準は35ドルと聞きました。

 JICA関連では翌日ラオス国立大学工学部の技術教育センター(Lao-Japan Technical Training Center)も訪問、こちらは昼食時にJICA派遣の日本人技術指導員も加わり日本語履修の学生達手作りのナマズの串焼き、ラオラーオ(焼酎)のにんにく酒などを堪能。同じ夜、今度は日本側がメコン川に浮かぶグルメ船をチャーターして、大学の工学部長や教授たち関係者を招待、対岸のタイの街灯りを眺めながらのナイトクルーズ、来年の再会を願って何度も乾杯で盛り上がりました。

 今回の研修会は外務省東南アジア担当課の協力もあり訪問先は国を代表する機関で、企業団体の研修会というより、JICAの視察団といったおもむきでした。世界に羽ばたくたちかわIT交流会とベトナム、ラオスの益々の発展を願って、研修会始末記とします。


11月号 「ハノイ」

  前号で無事成田を出発、機内では昨夜の福田首相突然の辞任表明をTV放送、わが国の首相人事は外れ続きです。「ハノイ」ノイバイ空港到着9月2日現地時間15:10定刻、日本との時差2時間遅れ。空港ではVCI技術教育アカデミー阿部校長がミニバンで出迎え、ベトナム人の奥さんに娘さんが居てハノイ通、道中お世話になりました。40分ほどでハノイ市内のホテル到着、市民憩いのホアンキエム湖近くの12階建て3星ホテルです。

 途中は自動車専用道路で快適にドライブ、キャノン・ヤマハなどの工業団地、建築中の大型店舗などがあり経済拡大が続いていることが解ります。紅河(レッドリバー)を渡って市街中心部に、なんと道路一面、50CCクラスのバイクの洪水、我々の車はバイクにうずもれて併走。信号は少なく、右左折や人の横断などは一定時間が経過するとなんとなく流れに割り込みはじめ、しまいには道が開いて右左折可能な状態に。この阿吽の呼吸には一行しばし感嘆。バイクも一人乗りはマイナーで、2〜3人乗りが普通、4・5人乗りも混じり、荷台に冷蔵庫や風呂桶ほどの籠に鶏を積んだりで、軽自動車並みの輸送力。おとなは2人乗り可、7歳以下は何人乗せても良いそうです。

 昨年12月からヘルメット着用が義務付けられ、規制以来5000万個が売れたとのこと。人口が8500万人ですから大変な割合、バイクなしでは生活できません。標準月収は2〜3万円、日本製バイクは10〜15万円とのことですから一財産です。仕事は定職と副業、妻子も働いて世帯月収は10万円以上が実質所得と、阿部校長の説明。この日はたまたまベトナムの建国記念日で、主要道路にはお祝いの横断幕がかかり、そのせいで交通量が多いのかと思いましたが、翌朝の通勤ラッシュも同じバイク軍団の進撃でした。ハノイでは本来の研
修目的である、VCIの日本語教室、ハノイ工科大の国際協力学部、JICA後援のベトナム計画投資省への訪問・研修。他にイエン川を手漕ぎの小舟で行く洞窟の名刹香寺(チュア・フォーン)参り、フォーを中心としたベトナム料理、ハノイビール、ルアモイ(焼酎)を楽しみ、ODAに替わり民間援助をしてまいりました。

VCI: Vietnam Communication Initiative, JICA支援の日本語教育NPO法人
JICA: Japan International Cooperation Agency, ODAの実施機関
ODA: Official Development Assistance, 途上国に対する政府資金援助

 


10月号 「航空券」

 9月2日から7日の日程でたちかわIT交流会主催のベトナム・ラオス海外研修会に参加しました。2日11:00成田発、集合8:45。気が張ってだいぶ早く集合場所へ、旅行社の係員から「航空券」を受け取りヴェトナム航空のチェックインカウンターに並びました。程なく自分の番という時になって航空券の名前がKAKIZAWAと記されていることに気づきました。え〜い、ままよっ! カウンターにパスポートと共に提出。窓口の女性は一目で名前の違いを発見、「これでは搭乗できません。」 パスポートはKAKIZAKIです。
しばし押し問答をしましたが書類の不備はどうしようもなく、携帯でかの旅行社を呼び出し、交渉させることに。

 どこにいたのか、事情を知って飛んできました。私と同年輩、平謝りです。基本的なチェックを怠ったのですから当然です。参加者8名、航空券の購入リストでは藤沢、吉沢の次に柿崎と続きます。代理店の販売担当者は勢いで崎を沢とインプットしたのでしょう。受け取った旅行社も見逃し、当の本人も漢字でなかったため一瞥では分かりませんでした。
事故はこうして何重ものチェックを経ながら見過ごされて起こるのです。

 カウンターチーフを呼び出し、善後策を相談。結局、正規の航空券が必要と、しごく当然の結論でしたが、代理店は東京、出発までに届けられそうにありません。おまけに営業は10時から。幸い早く出社したようで、10時前に航空券が作成されました。粘った結果、特別にこの航空券のFAXコピーで搭乗手続きが済み、離陸間際に出国できることになりました‥‥が更に問題。航空券はハノイ・ビエンチャン往復とハノイからの帰国便の4ルート綴り。現地でFAXコピーは通じません。今度は拝み倒して、現物を次の便で送り、ハノイで乗る便のチェックインカウンターに届けてもらうことになりました。     

 結局、この航空券は無事に届いていて、4日夕刻、ラオスの首都ビエンチャンへと飛べました。もっとも届いていなければその場で航空券を改めて買えば済むことでした。空席は柿沢さんの分があるはずですから‥‥。出発のっけからのハプニングでした。



9月号 「CTG」
 「コンピュータ・テクニック・グループ」の創設メンバーです。略して「CTG」。
電子計算機の世代交代期、素子がトランジスタからICへ移行しつつあった
昭和40年初期に4名の大学・大学院生で組織されました。大型計算機IBM7090、CALCOMP563プロッタなど当時最強のマシンをわが国で初めて芸術活動に利用した、コンピュータ・グラフィックスの草分けとも言える集団です。東大大学院生槌屋治紀がリーダー、多摩美大学生幸村真佐男がCG制作の中心、私はハード関連のアドバイザーといった役割。槌屋は現、株)システム技術研究所社長でエネルギー問題の権威、幸村は多摩美大と中京大で現在もコンピュータアートの教授として活躍中、結成以後は京大、早大、武蔵美大、武蔵工大などの仲間も加わり40年代末に制作活動を終える頃は総勢10名でした。

 ケネディ大統領やマリリン・モンローの肖像写真を基に、イメージを座標変換したりトポロジー変換を加えたデフォルメ作品。連続変換やCG動画の作成。巨大なインクジェットプリンターともいえる2m×2.5mのキャンバスにスプレーガンで自動描画する装置など50数点の作品を発表。作品は米国のアートコンテスト、ロンドンの展示会、パリ青年ビエンナーレにも出展し、作品や紹介原稿からの収入もあって、神谷町に事務所を構えるほどになりました。

 今、この作品群が40年の時を経て、見直されています。平成15年10月東京オペラシティタワーで開催された「アート&テクノロジーの過去と未来」展、翌16年11月多摩美大美術館で開催の「20世紀コンピュータアートの軌跡と展望」展でCGの古典として紹介され、更に昨19年1月、落成した新国立美術館の開館記念として「文化庁メディア芸術祭10周年企画 日本の表現力」展が開催されて、CTGの先駆的な活動が注目されました。

 実はこのグループの活動をNHKの人気ドキュメンタリー番組「プロジェクトX」で取り上げる企画が進行中でしたが、例の誇大演出であえなく番組廃止。
せっかくのTV出演の機会が消えてしまいました。NHK殿:メンバーが元気な内に是非再検討を!


8月号 「ベジタリアン」
  娘三人の下に息子が一人います。大方の家庭では、女と違い男の子は最小限の会話しかしないと言うのが一般的で、我が家も例外ではありません。この23歳の息子、大学は法学部卒ですが就職はせず、バイオリンを持出してライブハウスで演奏したり、野外の騒音を音楽に取り入れたCDを仲間に売ったり、Tシャツに誰かの似顔絵をプリントしてレンタルBOXで販売したりしているようですが実態は不明。それでも寝食は別にして、何とか親の支援を受けずに生活しています。こちらも何時かはまともな仕事を始めてくれることを期待しつつ放っておくこの頃です。

 先日この息子が「おばあちゃんのところに行きたい。」と言い出しました。私の母は92歳を過ぎ、亀有の施設で車椅子生活、先も永くは期待できません。前々から連れて行きたいと思っていましたから、早速、車で出かけました。母は大喜び、口は達者で、しきりに孫に仕事のこと聞きます。息子の答えは「今考え中、決まったら知らせます。」とのこと。思わず「頼むよ!」と私。

 さて、施設を出て昼食という段になって問題です。実は息子は徹底した「ベジタリアン」。白い小型犬を飼い始めたのが動機でしょうか。2年程前から肉・魚・卵・乳製品を一切摂りません。日本そばも汁にかつおだしが使われているとかで、外食はほとんどダメ。結局、トマトとにんにくのスパゲッティが合格、こちらは遠慮なく魚介類のパスタでしたが。

 本人の言では健康やスタミナの点で動物性を排除してもまったく問題がないらしく、この点でとやかく言う家族や親類はいなくなりました。秋葉原などで起きた若者の無差別殺傷事件について、誰に言うとなく「動物の肉を食べているからあんなことをするんだ。」とぽつり。結構説得力がありました。また、庭木が伸びて、こちらが汗だくで枝を切っていた時のこと「見てないで、手伝ってくれない!」との妻の呼びかけに、「悪いけど、僕はそういうことをしたくないんだ。」との返事。日頃から生き物の無用な殺傷をしないこの愚息、案外筋が通っているのかも知れません。



7月号 「たばこ自販機」
 7月から関東地方でも「たばこ自販機」に成人識別カード(TASPO-CARD)が導入され、カード無しでは購入ができなくなる。もっとも小売店やコンビニでの対面販売にはカードなどを特に必要としないから、大人びた顔つきの未成年者は今まで通り購入可能だ。筆者に関しては家人や娘たちに責められて、禁煙に踏み切ってから24年ほどになる。近頃では禁煙硬派を自認、周辺の喫煙者に禁煙を勧めたり、忠告したりで、煙たがられているが、喫煙人口減少への実績はほとんどゼロ。喫煙場所や時間が年々制限され、自分のみならず周囲への健康被害も明白となった昨今、家族や身の回りからの非難もなんのその、喫煙を頑として続ける人たちに今では感銘すら覚える。

 カード携帯が必要になったぐらいで、面倒だからここで禁煙という人はまずいないだろう。問題はこれで禁煙する未成年者の数だが、こちらも、あと吸う年(数年)我慢して成人になってから再開、など殊勝な考えを持ち合わせていたら最初から吸わないはずで、減少は期待できない。新規顧客の未成年者は多少減るかもしれないが、どう見ても今回のカード導入で売上は落ちそうになく、タバコ会社の狙い通りだ。未成年者の健康のためという大義名分での今回の措置だが、たばこの箱に白々しく健康に注意と書くのとなんら変わらず、我々非喫煙者にも何のメリットもない。

 たばこの害を減らし国民の健康を本気で守ろうとするなら、喫煙人口と消費量を減らすことが本命で、こうした消費の制御は税制で対処するのが政治の常套手段だ。たばこの値段と喫煙率の関係では英国9.69ドルで喫煙率27%、わが国は2.58ドルで43.3%という世界保健機構の統計がある。欧米と比べわが国のたばこは相当安く、喫煙率は高い。京都大の報告でも今の倍600円で3割がやめたい、1000円になれば9割がやめることを考えると回答したと言う。いっそタバコ税の大幅増税で一箱2000円程度とし、喫煙率を下げ、税金は医療費にあてて、永年の罪滅ぼしをしてほしいと思うのだが。


6月号 「同窓生」
 高校時代の「同窓生」との付き合いが年々濃くなり、退職組が増え、年金受給年齢となってからは更に頻度が上がった。途中から始まった年2回のゴルフコンペがこの秋で30回を数えるから15年以上続いている勘定だ。5月連休は仲間数人で所有している千葉県南房総市の別荘に集まり、バーベキュウ・つり・ゴルフ・マージャン三昧。

 数年前まではヨットも同じ仲間で共同所有し、毎月のレースと夏の大島波浮港クルーズなどマリンライフも堪能。定員12名31フィートの艇も古くなり、さすがに60過ぎのクルーばかりでは海を相手の危険に対し不安もあったため、処分となってしまった。今では船舶免許の更新もせずじまいだ。

 替わって、夏のイベントとして定着したのが、「おどろきの北海道ゴルフ」と言われる2泊3日のパック旅行で、キャディバッグの往復宅配・航空機・2食付宿泊費・ゴルフ代を含んで一人5〜6万円代、お値段が驚きと言うことらしい。早朝、羽田発の飛行機で行き、到着後空港周辺でラウンド。翌日はレンタカーを借りての終日観光‥‥これは自前。帰りに別のゴルフ場でもうワンラウンドしたあと、遅い便で帰京というどちらかと言うとハードスケジュールだが、毎年6〜8名の参加で続いている。すでに、函館・札幌・旭川・帯広と済み、今年は釧路空港基点で7月はじめに実施とのことで、参加できるよう今から日程を調整している。北海道では他に女満別、根室中標津、稚内などローカル空港が残っているがおどろき旅行の企画があれば参加、なければ今度は九州制覇で、あと10年は続けるとみんな意気込み盛ん。

 それにつけてもあと十年で75歳到達、後期高齢者の一員だ。高齢者に前期と後期があるとは知らなかったが、お手軽医療制度改革もあって、この呼び方には老人切捨てのニュアンスが感じられて不快だ。これでは85歳以上は末期高齢者になってしまう。 永年、国の発展に努め、今は観光地振興の主役として活躍中の大先輩に手厚く報い、安心できる生活を保証することが国の勤めだと思うのだが。



5月号 「女性専用車」
 「女性専用車」がわが五日市線にも登場しました。ウィークデイの朝6時と7時代に各一本、青梅線中央線直通で東京行き編成の先頭に接続されています。JR東日本自慢の新型E233系通勤電車の採用にともない一年程まえから運行されました。五日市線の電車は古くは101系や103系、つい最近までの201系と変遷しましたがいずれも中央線や青梅線のお下がりで、今回は最初からの新調車両で感激です。ただ、地方線特有だった冷気・熱気防止用のドアスイッチも設けられ、一見便利でありがたい思いもありますが、この線が単線の田舎線であることを再認識させられました。一方、田舎と思った矢先に、英語のアナウンス、初めて乗ったときは思わず車内を見回しました。もちろん英語圏の乗客を見かけることはまれで、この線では過剰サービス、LCDによる英文表示がある上、アナウンスはうるさい分迷惑と言えます。

 さて、この専用車両、例によって国民の品格が低いわが国独特の策で、海外には例がないようです。おじん臭さが無い・痴漢や迷惑行為の心配がないなど、安心して利用できるところが評価され、女性には人気とのこと。近頃では都市の各線で採用もすすみ、朝のラッシュ時のみならず終日実施のところもあるそうです。

 実は、かく言う筆者は車党で、電車利用は月に数回程度、地球温暖化に一役買っての車通勤です。理由はいろいろですが、乗客のマナーの悪さも一因。座るそばから化粧に余念が無い若い娘、向き合ってくっついているカップル、汚い言葉でおしゃべりに夢中の女高生、昔は見られなかったこうした光景が不快でたまりません。たまに乗る電車ですが、女性専用があるなら、こちらも男性専用に乗りたいくらいです。男性専用車なら少なくとも、化粧女・いちゃつきカップル・やかましいギャルを排除でき、多少快適な通勤が出来るでしょう。なにより、ラッシュ時にその気も無いのにうっかりタッチで痴漢扱いされ、留置されるなどの危険が避けられます。

 鉄道各社様:上記趣旨をご理解いただき、是非「男性専用車」の採用もお願いいたします。



4月号 「花粉症」
 「花粉症」の季節真っ盛りです。花粉症そのものは昔から知られていたようですが、季節病として大きな社会問題になったのはここ10年ほどのこと。特にスギ花粉が問題で、周りの人にも多く見られるようになり、毎年新たに花粉症デビューした人の話を聞きます。2月から4月まではスギ花粉、杉が終わると替わってヒノキ花粉、夏は花粉症元祖のブタクサと続き、発症者はうっとうしい日々を強いられます。

 戦後植林した杉の成長期に合わせての大気汚染や温暖化など環境汚染の進行、営林事業の縮小による手入れ不足に対抗して、花粉増産を余儀なくされた杉の生き残り自衛策などが原因と言われています。さらに、杉と同じ環境変化を共有する我々の側も、食品添加物や輸入食品による食生活の変化が加わり、こうした異物への抵抗力が弱体化してしまったことも要因と思われます。こうした原因から分かるように、日本特有の現象で、海外ではこれほど問題になっている国はないとのことですから、今やわが国の国民病とも言えるで
しょう。
 
 さて、筆者に関しては幸い花粉症とはまったく無縁で、花粉の多い日は目が多少かゆくなる程度です。住まいは東京西部のあきる野市で、自宅の西500mほどに杉林があり、この時期は枝もたわわに杉の花が咲き、枝の先を引くとどっと花粉が散り、頭がまっ黄色。西隣の桧原村は山一面の杉林で風が吹くともうもうと黄色い煙が立ち上り、火事と見まがうほど。野天駐車の我が愛車は黄色く花粉化粧で、毎朝花粉を払ってからの出社です。一方、気の毒にも家内はどちらかと言うと重度の花粉症患者で七転八倒の日々。

 この原稿を読んだだけで、涙と鼻水がどばっ!でしょう。洗濯干しは屋内、外出から帰ったら玄関外で花粉落とし、就寝時は鼻に丸めたテッシュが欠かせません。室内に花粉を入れないようこちらも気を使ったり、休日は都内や花粉の飛ばない地域に連れ出したりしなければなりませんから、花粉症でないにしても被害者と言えます。有効確実な治療法は今のところ無いようですから特効薬の発見が待たれます。それまで発症しないよう祈るばかりです。



3月号 「カーナビゲーション」
 「カーナビ」を利用して10年です。どこへでも簡単に行けるというのがうたい文句ですが、夫婦ドライブでのトラブルが減ったことも見逃せません。かつては助手席の奥さんがナビゲーター役、地図を片手に道案内を任されますが、なにせ、おおかたの女性は地図が読めません。走っている方向に地図を合わせていても分岐点での指示が出来ませんから、結局、車内で口論、昔はお互いに忍耐が必要でした。それが、カーナビのお陰で快適なドライブとなりましたが、あらかじめ地図で調べることも無く、新しい道も覚えずで、何より困るのはどこへ行くにもカーナビ無しでは不安になってしまったことです。

 初期のナビ画面は更新が間に合わず、スピードを上げると位置表示がどんどん遅れ、仕舞いには表示をギブアップしてしまいましたが、地図媒体がCD、DVD、HDDと高速高容量化し、現在では25m/cmの最小レンジでも難なく追従します。また市街地では建物全てが表示でき、我が家も確認できて感激。職業別電話帳に記載されている店舗・事業所は全て表示・検索可能という懲りよう。日本人の細部にこだわる性格が現れています。

 数年前、友人の運転するベンツS430でアムステルダムをドライブしましたが、搭載されているカーナビの表示レンジは500mほどと大雑把な地図が最小、音声案内が主体で「200m先を右折」とか「ここで左折」と言った指示で誘導。運転中にほとんど地図を見ず、ナビはこの程度で十分とのことでした。

 また、以前は衛星の数や精度、通信感度が不十分で、大雨や雷雨ではBS放送のように時々受信不能に陥り、出先から自宅までめくら運転といったこともありました。今でも立体駐車場で方向転換がされ、入れた向きと逆に出庫した時とか、フェリーを利用した場合は、停車時に記憶した位置・方向がずれてしまい、運転を再開してもしばらく、ナビが使えなくなりますから注意が必要です。

 朝はテレビの天気予報がいつでも見られて空模様から自分で判断する必要が無くなり、WORDのお陰で漢字が書けなくなり、カーナビの普及で道音痴になりました。こうして、IT化の進展とは逆に、我々の能力は退化して行くのでしょうか。



2月号 「原子力発電」
  「原子力発電」が見直され、ひところほど反対の声が聞こえてこない。地球温暖化が懸念され、最大の要因である二酸化炭素など温室効果ガスの削減が地球環境保全の緊急課題であることが明白となり、これらガスの排出を伴わないクリーンエネルギーとして原子力が再認識された結果である。加えて、発展著しい中国へあらゆる物資が流れ、結果としての原油価格高騰と電力需要の増加などがフォローの風となって、日本だけでなく世界中でこうした機運が生まれている。わが国では、2基が建設中、他に11基を計画。米国では20基の増設を予定。原発を全廃したイタリアも再開検討中、中国はわが国に原発建設を発注するなど、話題が多い。おかげで、電力業界には願っても無い状況となったようだが、肝心の原発や再処理工場の安全性、廃棄物の最終処分法などはあまり進展していないのが実情。
 
 8年ほど前に柏崎の刈羽原発を見学したことがある。なんと、炉心上に見学コースがあり、「皆さんの足元で、今盛んに核分裂が行われております。」の説明には唖然、でも安心と言うのが案内嬢の説明であった。後年、六ヶ所村の再処理工場・最終処分地も見学。処理工程や処分方法など丁寧な解説で、こちらも同様、「だから安全」の説明だった。動燃東海村・大洗原子力研究所へは昔、仕事で何回も行く機会があったが、毎年敷地内に廃棄物を貯蔵する新しいプールや小山が生まれていた。我々が求めているのは見た目の安全ではなく、見えない部分の安全である。東海村の臨界事故やチェルノブイリの炉心融解事故は見学や査察では分かりようのない、マンネリと慣れによる安全の軽視や人的ミス、隠れたシステムの欠陥などによって起されたものであった。

 それにしても、発電そのものは火力と同じ蒸気タービン、原子炉はただのボイラーで蒸気を作るだけ、熱くなりすぎたら水で冷やすという仕組みは、最新技術にしてはあまりにも能が無い。中性子の運動から直接発電するとか、水以外の手段で温度制御するとか、何とかならないものか。地球温暖化か、放射能か、どちらかを選べと言われても‥‥。


1月号 「世界最高齢」
 ギネス記録「世界最高齢」保持者が日本人から米国人にバトンタッチされてしまった。一年前の1月、明治26年生まれ、114歳になったばかりで世界最高齢となった、福岡県の皆川ヨ子さんが同年8月に亡くなり、替わって米インディアナ州のこれも114歳の女性が長寿世界一になって今日に至っている。長寿世界一ではわが国の泉重千代さんが有名、ギネスレコード男性の部第一位で120歳(〜1989年)だった。女性では仏国人の122歳(〜1997年)が人類最高記録。もっとも、中世から20世紀初頭の戸籍が不正確な時代では世界中で150歳185歳などの記録もあり、例の初代天皇である神武天皇は127歳、11代垂仁天皇は139歳まで生きたとされている。

 解剖学的というか細胞学的と言うか、人間の寿命については130歳程度が限界とされているが、150歳との説もある。時間に関する考察で評判になった名著「象の時間、ネズミの時間」では心拍数に注目し、一生の心拍数はどの動物もほぼ同じとしている。哺乳類では一生涯で20〜25億回心臓が鼓動すると寿命と言われ、人間に当てはめると心拍数60/分の計算で、63〜79歳となり、現実に合わない。人類が象やネズミより圧倒的に長寿な動物であることがこれでも分かる。

 知人でこちらがひそかに絶倫和尚と呼んでいる人がいる。断食や座禅、般若心経の先生でもあるから恩人の一人と言っていいだろう。77歳、毎日就寝前に真向法(ヨガに似た健康体操)を欠かさず、元旦は早起きして近所の小学校のグラウンドを数周ランニング、駅から自宅の間のゴミ拾いが趣味、いつ会ってもその元気さにおどろかされる。常々100歳までは生きると言っていて、さもありなんと思っていたら、最近趣旨替えをし、「100歳まで生きるのはやめた。」と言う。そうですね〜、95歳あたりを目標にしたほうがいいかも知れませんね。というと、「いや、120歳まで生きることにしたんだ。」との答え。
ハイハイッ! せいぜい頑張ってください!