コラム

   

今月のひと言

当社のコラム担当 「今が好き♪」 氏のコラムです。毎月連載します。

    
2014年 12月号 「年賀状」
11月号 「電動工具」
10月号 「高齢者福祉」
9月号 「LED照明」
8月号 「自然エネルギー」
7月号 「平和憲法」
6月号 「古代都市奈良」
5月号 「竹の子」
4月号 「リケジョ」
3月号 「大雪」
2月号 「トイレット」
1月号 「工房」
コラムTOP
12月号 「年賀状」

 『年賀状』の時期になった。筆者の場合、準備万端・早めの対応をする性分とはいい難く、どちらかと言えばギリギリになってから腰を上げるほう。年賀状の準備も言わずもがなだ。会社通いをしていたころは、年末休みになるまで手つかずで、結局、近所の寺から除夜の鐘が聞こえるころ書き終えて、夜中に投かんということも多い。家人から「もっと早くから書いたら」などと言われても、「年賀状は新年になってから出すのが本当なのだ」とうそぶく始末。とは言いながら、来年は遅くともクリスマス前に終えたいと思うのが常。早かろうが遅かろうが、年賀状を書き終えて投かんした時の安堵感と言うか、達成感は誰にでも同じはずで、そのあとの一杯はうまい。特にあとが無くなった大みそかに滑り込んだ時はストレスが長く続いたせいか、格別にうまいと思っている。
 さて近頃は、おかげさまで仕事もリタイヤし、悠々とは言えないまでも自適な生活になった。年賀状の準備をする時間に不足はなく、以前ほど追いつめられそうにないが、それでも面倒なことに変わりはない。実はこの2年は家人の両親と自分の母親を亡くして、連続喪中。印刷した喪中ハガキで済まし、この間年賀状は無しで、ほっ! これだけは文字通り不幸中の幸いだったが‥‥。
 
 筆者の年賀状スタイルは40年来変わらずで、干支の図柄をマッチの軸を使って線描きした版画。昔はすべて版刷りで、絵の具が乾くまで座敷いっぱいハガキを並べていたもの。パソコンを利用するようになってから、版下は以前どおりに作って、うまく刷り上がった版画をデジタイザーで取り込み大きさや不具合を調整したのち、あいさつ文・住所氏名などのテキストを追加して必要枚数をプリントアウトする方法に転換。手間がかからない分、画一で味のないものになってしまったのはいなめない。今年から3年ぶりに年賀状復活だが手法は踏襲するつもり。配達される賀状は十人十色、元旦の楽しみではあるが、惰性相手やお義理賀状もあったりで、この機会に賀状相手の見直し整理もしたい。今度は余裕をもって、元旦配達に間に合うよう書き上げようと思っているが、その前に年賀状を買いに行かなくては〜。


11月号 「電動工具」

 木工用の『電動工具』がほぼ揃って、工作が楽になりました。娘たちが立ち上げたカフェがあきる野市の秋川沿いにあります。ここで昨年に引き続き手作り市を行うということで、木工作品の出展を依頼されました。10月初めころ設計と部材の購入からはじめて末日にようやく作り終えたところです。今回は壁掛け飾り棚・額付きボックス・スパイスラック・コートハンガーなど8種17台の出品。市価の6割ほど総額42,400円の価格設定としました。製作は電動工具主体、材料は1×4・1×6材、しなベニヤ4、5.5、9ミリ厚材、杉板です。工房での実質作業は10日間ほどでした。この一年間で糸鋸盤、スタンド型電気鋸
を新規購入、トリマー・ドリル・オービタルサンダー(電気やすり)などを買い増しし工作のレパートリーが増えました。
 手工具と比べ電動工具の利点は多く、切る・削る・穴をあけるなどすべてに作業能率が良く短時間で大量の処置ができることが第一。更に正確で仕上がりがきれいと手道具の比ではありません。扱いに慣れ、その上治具や定規の工夫でかなりの工作が可能です。一見パワーがあり、音も大きく危険な感じもしますが筆者の経験では刃先の交換時に擦り傷を負う程度で、むしろ手道具使用時のほうがノミや玄翁でのけがが多かったと思います。
電動で扱いを間違えれば大けがになることが容易に予想でき、その分慎重に作業するせいでしょうか。
 
 今回の作品は糸鋸による曲線とトリマーによる縁や内周の装飾を随所に配し、デザインも客層に合わせて女性向にしました。木工より厄介なのが塗装です。昨今はニス塗り、スティン塗りより、カントリー調のクラッシク塗装がはやりで、白系の下塗りにパステルカラーを上塗りし、乾いたらやすりで下塗りや木地をところどころ露出させて使い込んだ風合いを出し、更に濃茶のワックスなどで古色を表現すると言う手のかかるもの。終わり2日間は塗りと乾燥に費やしました。展示は11月の5日から4日間、半数も売れれば上々でしょう。
 ところで8月末に幕張メッセで開催された「ジャパンDIYホームセンターショウ2014」を1日かけて見て回りました。特に充電工具の性能アップとリチウムイオン電池は魅力で現在使用中のニッケル水素タイプの工具を総入れ替えすることを検討中です。ゴルフを数回パスして工具代に回すことが必要かもしれません。


10月号 「高齢者福祉」

 日の出町で暮らして一年半となります。町は『高齢者福祉』をスローガンの一つに据え、基本理念は「日本一お年寄りにやさしい町づくり」としています。ずいぶん思い切った目標ですが、老人福祉法や介護保険法に基づく事業計画を策定し現在第5期介護保険事業計画を実施中です。町には100歳を迎えた住民に100万円を贈るというご長寿祝い金制度がありました。昨年この町に転入し、100万円長寿競争にエントリーしましたが、条例をよく読むと町に30年以上住んでいる者とあります。残念ながら筆者は転居時70歳。居住年数が
数か月足りず資格がないことが判明、長生きへの意欲が急にしぼんでしまいました。
 
 ところが昨年の敬老の日に役場から長寿奨励金として1万円を贈るから振込先を知らせろという通知です。この年から100歳100万円の制度を廃止し、代わって70歳以上の節々に祝い金を贈るという「長生き奨励金」制度が新設されたのです。スタートは70歳1万円、以後75・77歳時各2万円。80代では80・85・88歳各3万円。90・95・99歳各5万円。100歳からは毎年10万円が終身受け取れるというものです。もともと100万円制度は99歳まで長生きしても1銭にもならず、幸いにして100歳に達したとしても、本人が自主的に使えそうにないといった理由で評判はいまひとつでした。今度は一転、70歳からフルにこの制度の恩恵を受けることになって、再び生きる希望を見出したという次第。
 また医療面では全国初の後期高齢者医療費の無料制度があります。75歳以上で在住3年以上あれば、町指定医療機関に限りますが支払い金額の全額が償還されるという制度。人間ドッグの受診料も無料です。明年からはこの3月に再選された町長公約により対象年齢が70歳以上となる見通しです。他にも無料循環バス、介護支援、老人ホーム入所助成など通常のサービスもあって日本一はともかく、高齢者福祉に厚い町と言っていいでしょう。
 
 筆者の場合、ほぼ無給となりましたが幸い小遣いに不自由はありません。医療費に関しては自己負担1割。病院や歯医者に行っても500円と掛かりませんが、更にこれが無料になったり、長寿奨励金をもらったりでは申し訳ない思いです。財源は一般廃棄物処分場への隣自治体のごみの受け入れとイオンモールの固定資産税とのことですが、いずれも土地の提供にすぎず、すぐれたアイディアや行政施策による収入とはいい難く、こうした制度がいつまで続くかは保証の限りではなさそうです。


9月号 「LED照明」

 『LED照明』が普及してきました。赤と黄色が先に開発され、表示やサインに使用されていましたが、1990年代に我が国で青や緑など波長の短いLEDが発明されて以降フルカラーの映像表現や白色照明が可能となって応用範囲を広げてきました。今や白熱電球を駆逐し、蛍光灯の領域をも侵しはじめて、第三の照明革命と言っていいでしょう。
 すでに4万時間に及ぶ長寿命と省電力を生かして、交通信号機はほぼすべてがドット集合体のLED表示となり、従来の電球交換をはじめとする保守時間を劇的に削減しています。自動車各部での採用が進んでいるのもご存知の通り。こちらは長寿命の上に直流電源駆動であるという特徴も生かせます。また高輝度高出力化も進み、野菜や果実の人工栽培用光源も実用化されています。波長成分に虫除け効果もあって好都合とか。更に発熱が少ない利点を生かして冷蔵庫やスーパーの食品ケースの照明にも向いていると、言うことなしの照明です。
 
 とは言っても、当然課題もあります。LEDは直流点灯であることから、家庭用交流100Vを直流に変換するための回路が必要になります。それゆえ電球タイプは発光部の後ろに電源回路を自蔵し、そのため放熱用のフィンを備えて発熱の少ないLEDの特徴を台無しにし、電力効率も下げてしまいます。更にこの電源回路のために、コスト高だということ。年々安くなっているとは言え、電球タイプで1個1〜4千円代、バーゲンでも電球30〜40W級が6〜8百円と白熱電球の10倍。電気代の安さで1・2年のうちにペイするといっても初期投資がかさみます。 拙宅ではダウンライトなどを徐々にLED化していますが、まだ積極的な対応には至っていません。値段の比較ではシーリングランプのほうが蛍光灯との差額が小さく、明るさの可変や色調が容易に制御できる分お勧めかも知れません。
 
 さて、提案ですが、住宅や事務所などに交流100Vを直流12Vほどに変換する電源装置を設備し、LED照明専用に配電するというのはどうでしょう。個々のLEDに直流電源が不要になり、発熱もなくなって製造費は白熱電球並に安くなるでしょう。集合電源により変換効率もアップします。家電や住宅メーカーではひょっとしてすでにこうした照明システムの開発が始まっているかも知れません。期待しています。  


8月号 「自然エネルギー」

この7月、『自然エネルギー』推進会議が主催するエイモリー・ロビンス博士の講演会に参加した。一般社団法人自然エネルギー推進会議は脱原発を掲げて今年2月の都知事選に立候補しあえなく舛添要一現知事に敗れた元首相細川護熙が立ち上げた自然エネルギー推進団体。発起人には選挙応援にも馳せ参じた同志でこれも元首相の小泉純一郎、他に画家の安野光雅・哲学の梅原猛・瀬戸内寂聴など、賛同人には加藤登紀子・鎌田實・落合恵子・吉永小百合他、多数の有名人が名を連ねて意気盛ん。シンポジウムやミーティングを開催し原発ゼロと自然エネルギー普及活動を推進している。今回の講演会もその活動の一環。

 元々細川さんがこうした運動に目覚めたのはロビンス博士の自然エネネルギーに関する大著「新しい火の創造」に触発された由、今では団体のバイブルとも言える著作だ。この講演会、当初は100名ほどの参加予定者で企画したようだが聴講希望者多数で会場を変更、神谷町のより広い会議室に変更しての開催となった。筆者はエイモリー博士の日本の盟友から誘いをうけ参加したもの。開催時間のだいぶ前に到着したが、聴衆より民放各社のTVクルーが大勢詰めかけて撮影の陣取り合戦。博士もこの団体もまだ認知度は低くマスコミうけする講演会とはいい難い状態だったが、ほどなく民主党の元首相鳩山由紀夫と同菅直人がそろって姿を見せ最前列に着席、講演直前には細川・小泉の元首相も着席して、期せずして与野党の元首相が4人同席するという珍しい講演会となって、TV取材のわけを納得した次第。当日夜のニュースで紹介されたとのこと。
 講演は太陽・風力・水力・地熱・潮汐力などの再生可能エネルギーの利用と組み合わせ、ビルや住宅建設での省エネ施工、電気モーターの効率化、自動車の軽量化などなどで原子力なしでも十分持続可能なエネルギー政策が可能だという論調。特に強調したのはこうした対応が現在の技術ですでに可能だという点であった。もう一つ、3.11から学ぶべきことは多いはずだが、原発の危険や廃棄物については一切言及することなく、こうすれば原発は必要ないとしている点が印象的だった。以上、博士と推進会議の今後の活躍を願って講演会報告としたい。
(エイモリー・ロビンス博士については2012-11月『京都大覚寺』参照)


7月号 「平和憲法」

 我が国の『平和憲法』第9条のもとでも、閣議で憲法解釈を変えれば集団的自衛権が認められるという理屈で、この7月、とうとう安倍内閣は条件付きながら米国の武力闘争を支援するために自衛隊の参戦を可能にしてしまった。
 もともと第9条は、1項で戦争と国際間の武力行使を放棄し、2項では軍隊の保持と交戦権を認めないとしている。従って、この条文を見る限り他国に武器を向けて戦うこと自体が憲法違反であることは明白。解釈の変更など入り込む余地は全くないのである。しかるに我が国には戦車や戦闘機・軍艦を持つ自衛隊があり、自衛のためならこれらを使ってもよいとしてきたのであるから、2項条文に国民全体が目をつぶってきたのである。もっとも外国から武力攻撃や戦争を仕掛けられたら、この憲法下では何の反撃もできず、その手段も持たないことになり、座して死を待つしかなくなってしまうというわけで、憲法改正の手続きを踏まずに違憲の自衛隊が黙認されてきたのだ。

 安倍首相になって集団的自衛権も有りという、いわば自衛隊に次ぐ、毒食らわば皿までの措置が出てきたのは戦前のように力で周辺国と渡り合おうとしたのか、例によって、尖閣列島を安全保障の対象とした見返りに米国の外圧があったのか不明だが、ことここに至っては国会と国民投票によって改憲し自衛隊とその武力行使を承認するか、改憲不成立なら現行憲法に忠実な社会とするか2つに1つだ。このままでは立憲主義はもとより平和主義も民主主義も虚構となってしまう。
 
 思うに憲法の前文には「政府の行為によって再び戦争が起こらないようにこの憲法をつくった」とあり、図らずも今日を暗示している。また、軍隊がなくとも平和を愛し、諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持すると謳うなど格調が高い。是非、一読されたい。軍隊を持たなければ戦争はできないし、外国に与える安心感はこれに勝るものはない。もちろん米軍の駐留も不要だ。9条は占領下を除いて守られたことは一度もない。戦争の道具を捨てて自衛隊を解体し、代わって最先端の災害救助装備を持つ国際救助隊を創設し、地球上のどこへでも急行すると世界に宣言すれば9条と前文の精神を実践できる。積極的平和主義というならまず平和憲法を遵守し、軍隊なしで名誉ある国家を築くべきだ。
やってみなはれ!


6月号 「古代都市奈良」

  ここ数年5月末になると『古代都市奈良』でのゴルフに誘われ、都合がつけば参加している。母校OBの定例東西対抗戦という名目で奈良国際ゴルフ倶楽部を会場に行われるが、要は好きものの集まり。筆者の場合、観光を兼ね単身車で駆けつけている。片道500Km7時間のドライブだ。近年は新東名の開通と伊勢湾岸道利用でストレスなく運転でき、更に元高速道路の名阪国道を70Kmも無料で走行できて割安。姫路にも無料の高速道があったが、関東にこうした道路がないのはどうしたわけだろう。毎回2泊で中日が対抗戦、往路の午後と帰路の午前を観光に充てている。

 初参加が平成22年。この年は平城遷都1300年祭の最中で大賑わい。朱雀門から大極殿まで徒歩となるが、なんと間を近鉄電車が頻繁に通って平城京を分断。往時をしのぶなどは問題外だ。誰もが鉄道の移設か地下化を望んでいるはず。
 翌23年は欠席、24年は大阪弁天町の交通科学博物館で途中下車。屋外の展示車両は申し分なしだが、室内は改良の余地ありと見た。外国人宿泊者多数の大阪南港にあるホテルコスモスクエア国際交流センター泊で翌朝奈良へ。コンペ後は奈良パークホテル泊。ホテルから東大寺への無料ナイトツアーバスが用意され、めったに見られない夜の寺院を楽しんだ。翌朝、隣同士とも言える唐招提寺と薬師寺を拝観。薬師寺は東塔が修理中で囲いの中。現在も修理中で大きな囲いが遠くから目立っていた。
 
 昨25年は往路、京都伏見泊。龍馬暗殺の寺田屋を見て、と言うより閉館後に前を通って、
黄桜酒造のレストラン「かっぱ天国」で夕食。ひとり酒ながらおばんざいと吟醸酒を堪能した。
帰路の朝はアジサイ寺「矢田寺」に。この日6月1日から有料で400円。今シーズン入場者第1号とお祝いだけ言われたが、アジサイ祭りと言っても、まだ花はちらほら。納得のいかない400円だった。次、気を取り直して斑鳩の里は法隆寺へ。夢殿・中宮寺弥勒菩薩なども見てこちらは不満なし。法隆寺観光センターの宮大工西岡常一大工道具展は見ごたえがあった。

 さて今年。初日に奈良直行。奈良駅付近に宿を取り、「ならまち」散策。格子作りの町屋が並ぶ路地で雑貨店やカフェが人気とか。翌コンペのコメントは割愛し、帰路の報告。今回は古代遺跡の里、飛鳥・橿原へ。世界遺産登録運動中の明日香村役場前を通って石舞台・高松塚古墳・橿原考古学研究所付属博物館を巡った。
 田園地帯のあちこちに古墳や天皇陵、寺院や史跡が散らばり一帯が古代都市であったことを物語っている。考古学研究所博物館はどこも清潔、加えて洗練された展示で古代好きにはたまらない場所に見えた。明年もゴルフを口実に出かけたいと思っている。


5月号 「竹の子」
 わが町、西多摩郡日の出町の名産品の一つに『竹の子』があります。拙宅敷地続きの裏山は竹林となっていて、毎年100〜150本ほどの竹の子が掘り出せます。真竹が一部混ざりますが大方は孟宗竹。収穫時期は雨次第ですが、例年4月中旬以降5月10日頃まで。この間我が家の食卓に竹の子料理がならびます。掘り出しと下茹でが主として筆者の仕事、料理はもっぱら家人の担当です。

 竹の子掘りは長靴・手袋・帽子着用、竹籠を背負って山に入り、筍鍬で掘り出します。足場はよくありませんが、地上20〜30cmほど頭を出したものを狙います。根は浅く斜面下側を10〜20cm掘って、ピンク色の根が見えたらそのすぐ上の部分を鍬で一撃です。ポロリと折れて収穫完了、背中の籠に放り込みます。山の東と西側は両隣の家の所有となっていて、それぞれ敷地の延長線が竹林の境界です。あちこち探して籠一杯で10〜15本ほど入り、これがうまい具合に捌いた竹の子を下茹でする釜一杯分の分量です。一本1Kgから2kgの大きさ、捌くと、皮と頭が半分・根元のかたい部分が2割・食べる部分は3割程度となります。籠一杯採って15Kg、食べるところが5Kg前後でしょうか。水から釜に入れ、糠を一握り加えます。かまどに薪をくべて沸騰させること3、40分間、更におき火で1時間ほど熱してゆで上がり。急がない場合はこのまま一晩放置することもあります。こうするとかたい根付近でも食べられます。最後に水洗いし、料理人に引き渡して筆者の仕事は終了。あっ、真竹は細いのでその場で皮ごとホイル焼きが可能、わさび醤油で自前のつまみにします。
 
 町には竹の子園がいくつもあって、連休中は親子連れで賑わいます。入場無料、掘った竹の子は1kg400円で持ち帰ることができます。我が家の今年の収穫は130本、重さ150Kgとして竹の子園相当では6万円の収穫です。親類・近所・友人におすそ分けして喜ばれますが、それでも二人では食べきれません。シーズン終わりころは余ってしまい、貰ってくれる人を探したりしています。
 
 いろいろある竹の子料理、筆者の好物は家人の天ぷらです。砂糖・醤油・みりんの薄味煮に衣を付けてオリーブオイルで揚げたもの。これが絶品で今まで食べた天ぷら中で一番です。ちなみに二番は2月末ごろ畑の周りに顔を出すフキノトウの天ぷら。この季節は幸せです。


4月号 「リケジョ」
 STAP細胞論文で一躍有名となった『リケジョ』期待の星、理研の小保方晴子さんは新聞・TVなどの称賛がひと段落しないうちに、一転、疑惑と週刊誌ネタの対象となってしまった。思えば、我が国初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんに続く快挙かと他人事ながら嬉しさひとしおであったのもいっとき。やれ、発表された細胞が再現できない・実験写真は過去のものだ・論文中に他誌のコピーが使われているなど問題発覚。こうした指摘は信ぴょう性が高いようで、英ネイチャー誌掲載の論文取り消し騒ぎと、信じられない展開となってしまった。偽装や功名心での発表とは思えないが、ガセねた論文ならSTAPは幻の細胞名となってしまう。

 昨今、理系女子の進出が目覚ましく、ひょっとして我が国でもノーベル賞級発見が女性によって成し遂げられるのは時間の問題かとも感じていたところで、残念な結果となってしまった。理研と言えば国を代表する研究機関。所属所員の4分の1、600人を超す女性研究者を抱える、まさにリケジョの城だ。これに懲りずに日本のキューリー夫人を目指してほしい。
 筆者の母校電気通信大学では情報理工学部5学科、3500人の学生中の1割が女子学生で、もちろんリケジョ。成績上位は女子と留学生が多いとのことで理系男子の奮起を待ちたいところ。東京理科大では学生数が2万人を超すが女子15%とリケジョ多数だ。こちらも学業成績はいずれも平均して男子より上、おそらく入社試験の成績も同様で就職率は男子学生より高率という。

 リケジョに限らず、鉄道マニアの鉄子・カメラ女子のカメ女・歴史好きのレキ女なる女性群も増えているとか。昔から男性社会だった日本。女性は家庭や世間に縛られ、鳴かず飛ばずの時代が長い間続いたが、ここ10〜20年で男の領分だった職業やスポーツへの進出は著しく、あらゆる分野に及ぶ。起業家・議員・幹部社員・大工・植木屋・トラック運転手・電車運転士・自衛隊などなど。大学の応援団長にも女子大生とか。今や男の領域と言えるものを探すのは至難の業だ。少子高齢化の解決策には女性の社会進出と指導的立場での活躍が欠かせない。特にリケジョの活躍を期待したい。


3月号 「大雪」
 2月14日に一日中降り続いた『大雪』は東日本の各地で降雪記録を更新し、住宅・農産物・交通などに甚大な被害にもたらし、加えて死者24人という最大級の雪災害となった。降雪後一週間を経ても孤立住民が500世帯に及ぶという。ここ、西多摩郡日の出町でも70センチ、隣の桧原村では100センチの降雪量となり、この地域に住んで40年を越すがこれほどの雪は記憶にない。2月は4日に8センチ、都知事選前日の8日に40センチの積雪があったばかり、道路わきに雪が残る中での大雪であった。

 筆者の住まいは町役場と圏央道日の出インターを結ぶ、言わば町のメインストリートに面していて、雪の日はこの道路の除雪が最優先でおこなわれる。近所の建材店と造園業のショベルドーザーが活躍し、大雪翌日も午前中には除雪がおわって上下通行が可能な状態に。雨が上がった午後から家人と車庫から道路までの雪かきに着手、夕方ころ車を出せる状態にこぎつけた。子供たちの住むあきる野市の家で、2階の屋根から落ちた雪でカーポートがひしゃげたとのこと。2キロとない距離、様子を見に行く気で、早速車を出してみたが除雪は町役場まで。ラジアルとは言えノーマルタイヤの悲しさ、役場先の信号停止後に発進できなくなり、立ち往生の憂き目。結局、道をふさがれた数台の車から降りた人たちに押してもらい、何とかUターンして帰宅した次第。反省と冷や汗いっぱいだった。 こちらの被害は雪の滑落で納屋の樋が落ちたことと盆栽の枝が折れただけだったが、翌16日の朝になって、物置にしていた6畳形プレハブの屋根が陥没しているのを発見。前日に異常はなかったが、雨で屋根の雪が重量を増し、天井裏の梁がVの字に折れてしまったようだ。お陰で内部の家財などを避難させる仕事も増え、散々な後始末となってしまった。
 
 五十年・百年に一度の大雪とは言いながら、局地豪雨や大型台風の頻発、かつてはなかった竜巻の発生など、気候の振幅が大きくなり、被害も過酷さを増すこの頃。こうした大雪も再び繰り返される可能性は高い。地球温暖化と一見矛盾するようだが、気温上昇で海や陸の水分蒸発量が増え、気圧や気温の差を拡大するとともに、上空に溜まった大量の水が雨や雪となって降り注ぐ結果か。関東地方も雪国並みの備えが必要とはつらい。


2月号 「トイレット」
 少々尾籠ですが、『トイレット』の話です。CTGと言う初期のコンピューターアートを牽引した若者グループがあって、1960年代後半に活躍しました。40余年を経た現在、この分野ではパイオニアと目されています。かく言う筆者はこの創設メンバーで、今でも毎年、元メンバーゆかりの地で新年会が開かれています。今年は筆者の住む西多摩界隈での開催となり、遠く岡崎・水戸などから総勢8名が集まりました。日の出町の拙宅集合後、あきる野市営の温泉「瀬音の湯」のコテージに宿泊です。コンドミニアム仕様でメゾネットタイプの2棟つながり、貸切りでは仕切りがとれて往来自由、快適でした。 さて、トイレ。ここの洗面所はすりガラスのドアを開けるとすぐがトイレ、奥に浴槽という構造。ドアに人影が映って使用中なのが分かります。到着後早速、ひとりが小用に立ちました。文字通り立って用をたす姿がガラスにうっすら。出てくるのを待っていた一人が提案があると言います。「みなさん、申し訳ありませんがここではおしっこを座ってしてください」と。大かたは「えっ! なんで?」。「外にこぼしたり、跳ねたりして汚いからです。僕は家では座ってします」。他にも「私もそうしています。この提案に賛成!」と言う者がいたりして、結局、残りの者もそうすることに。何せ、用たしの姿がガラスに映ってはごまかせません。こうして新年会が始まり、翌日は五日市の名刹、大銀杏で有名な「広徳寺」・ロンヤス会談の「日の出山荘」・青梅の「だるま市」などを観光して解散。次回は仲間の住むタイのチェンマイで開催と決まりました。
 
 帰宅後、家人に話すと、「いつもそうしてほしいと私が言ってもきかないで、なぜ、友達に言われると聞くのよ〜!」と非難される始末。今では家でもチンまりと座っての用たしになりました。多少面倒でも汚してあとで怒られることもありません。欧米ではこのやりかたが一般的で、家庭外でもあまり立ってすることがありません。公衆の場ではスタンディングが空いていてもシッティングに並んでいます。ホモやゲイに覗かれないためかも。またパリのプランタン百貨店のトイレは男性用でも座式の個室だけが並んでいました。 みなさんも座ってお試しあれ!(註:CTGについては2008年9月号参照)


1月号 「工房」
 『工房』を造っています。昨年5月、家人の実家に転居しました。母屋のほかに付帯家屋が多く、車庫・納屋・書道教室・かまど小屋・鳥小屋が敷地内にあって、ここ半年は物置と化していたこれら家屋の整理に追われていましたが、ほぼ一段落。母屋は別にして家屋は古いものもあって、中でも鳥小屋と呼ばれているものは大正6年建設の築96年、10坪ほどの木造平屋です。元々はカイコ小屋でしたが戦後は鳥小屋に、その後数年間は陶芸家が使い、ここ15年は空き家の物置状態。内部は4畳の座敷と土間、ここを改造して趣味の木工用工房に改造することにしました。
 幸い、屋根部分は4年前の母屋の塗り直しと同時に措置済み。外壁は合板張りに補修されていましたが雨でべこべこ、カラートタンで張り直し、内壁は土壁でところどころ剥げ落ちていたものを壁板で抑え込み、一応の恰好が付きました。電気の引き込みと照明器具やコンセントの配線、作業テーブル、ワークスタンドの設置なども一人でこつこつ終え、すでにカンナ・丸鋸・ジグソー・ドライバー・糸鋸盤などの電動工具も運び込んで製作可能状態。11月には娘たち経営のカフェで開催された手作り市に飾り棚・額・プランターなど20数点を出展し、3日間で半数ほどが売れました。
 
 こうして、作品作りができる状態になりましたが、残作業は多数。何よりも家全体が数度南側にかしいでいて戸締りがよくありません。おじさんによると、昔、傾斜矯正のためジャッキで修正したとのことでした。どうしたことかこの建物には筋かいの類が全く使われていません。矯正は無理としても要所に筋かいを入れてこれ以上の傾きを抑えなければなりません。もう一つは土間、セメントを流してありますが平行でなくでこぼこ。作業台の足に板をあてがって水平出しをしなければならず、こちらの工事も必須です。さらに夏の台風時に大雨では土間に水が染み込むことも判明、外周に溝を掘って雨水を建物内に侵入させない対策も必要です。差し掛けの出窓や壁と屋根のつなぎには間隙が多数あり、すきま風のため暖房も効かずで冬場の作業にはこれが最優先でしょうか。
 そんなこんなで今のところ工房を作るための工房ですが、そのうち家具など大型の工作
にも挑戦したいと思っています。