2017年のコラム

   

今月のひと言

当社のコラム担当 「今が好き♪」 氏のコラムです。毎月連載します。

    
2017年 12月号 「モンゴル力士」
11月号 「ソリティア」
10月号 「ゴルフキャディー」
9月号 「親類縁者」
8月号 「大仏像」
7月号 「香港・マカオ続編」
6月号 「香港・マカオ4日間」
5月号 「5月連休」
4月号 「ごみ出し」
3月号 「果樹園」
2月号 「保養所」
1月号 「正月」
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12月号 「モンゴル力士」

 このところ『モンゴル力士』の暴行問題が新聞やTV番組のニュースとして毎日報道さ
れている。筆者は元々相撲への関心が強いほうではないが、外国人力士の草分け、高見山
や小錦の活躍には興味が引かれた。体形や顔つき、しぐさになんとなくユーモアが感じら
れたせいかも知れない。その後、外国人力士初の横綱曙とこれに続く武蔵丸の登場あたり
からまた面白くなくなってしまった。関脇大関どまりなら可愛いが横綱とはでき過ぎだあ
っ! そして現在、ハワイ出身者に代わってモンゴル出身力士が大活躍。あろうことか、
史上初めてモンゴル出身の3横綱が相撲界を席捲するようになってしまった。これが相撲
界や相撲ファンの望んでいる状態なのだとはとても思えない。
 
 昔と比べ、生活が豊かになり職業も多岐にわたって今の日本では若者に、生活のため家
族のため、暴行を受けるほどの厳しいけいこに耐えて出世したいという、言わばハングリ
ー精神が希薄になってしまったのだろう。そこで親方が目を付けたのが国外の若者、それ
も国内では稼ぎの選択肢が少なく、家族に頼られる若者がいい。こうした外国人力士の力
を借りて部屋の興隆につなげたいという親方の意向が今日の相撲界を産んだのだろう。当
時のファンや部屋の力士たちの支持はあったのだろうか。今や相撲は日本・モンゴル両国
の国技となり文字通り両国国技館で行うのがふさわしくはなったが。
 さすがに外国人力士の増加に危機感を持った相撲協会は外国人枠を設定したが、帰化さ
れればそれまで。結局国籍に関係なく外国出身者で枠を設定。一部屋一人としているが、
制定前の入門や部屋の合併吸収で複数外国人を抱える部屋も多い。
 
 例の横綱日馬富士の暴行問題は被害者貴ノ岩の証言や白鵬も絡んで結果は予断できない
が、他にも箱根駅伝で外国人選手に依存する大学や監督の姿勢には好感が持てない。また
甲子園の高校野球でも今年はすぐ近所の東海大菅生高校が西東京代表となったが、選手た
ちは神奈川・愛知・千葉県などの中学校出身者で西東京の出身者ではなかった。TV観戦
で、あれは角の酒屋の息子よ~などと言えれば応援もしたいのだが。スポーツ界のこうし
た風潮なんとかならないでしょうか。



11月号 「ソリティア」

 カーペンターズのアルバムに『ソリティア』という歌があります。失恋した男がこのゲ
ームで一人遊んでいるといった内容で、彼らのヒット曲の中では暗い歌と言えるでしょう。
元々、ソリティアは一人遊びのカードゲームの総称でしたが、マイクロソフト社が初期の
Windowsに標準添付したカードゲームをソリティアと呼んだため、場札とめくり札
から4種のトランプをAからKまで重ねて行く例のゲームを指すようになってしまいまし
た。このソリティアはクロンダイクが正式名称で、現在はMS社もこのゲームをクロンダ
イクと呼んでいます。今もカードゲームの定番らしく、愛好者が結構います。
 
 さて、かく言う筆者も恥ずかしながら、ここ1年ほどソリティアにはまっていて、MS
社の「ソリティア コレクション」サイトの常連。毎日出題される5種のソリティア:ク
ロンダイク・スパイダー・フリーセル・ピラミッド・トライピークに挑戦しています。出
題は初級・中級・上級・超上級の4ランクがあり、日替わりで各ソリティアに等級が割り
当てられます。筆者の場合、初級回答時間は数十秒から3分、中級・上級は数分から20
分間必要です。超上級は10分以下でクリアする場合もありますが狙いと対応を間違えると
1時間、時には翌日持ち越しになったりします。一か月全問正解ではパーフェクト賞がもら
えます。もちろん、金銭には関係なく無料ゲームで名誉と自己満足の遊びですが、メール
チェックを口実に毎日パソコンの前に座りますから、当然家人からは非難されています。
脳トレでボケ防止と言い訳していますが後ろめたさは残ります。毎日やる必要はありませ
んが、パーフェクトを狙うには月末までに当月分全問を解決しなければなりません。年間
パーフェクトを目指しましたが、5月31日に泊まりゴルフに出かけてしまいこの月は完
勝ならず。今年の年間パーフェクはすでに無くなりました。明年再チャレンジするか否か
今から悩んでいます。

スパイダー:54枚10列の場札と50枚のめくり札から8組の連番を作る
フリーセル:8列の表向き場札から左上の4枚スペースを使って右上に4組の連番を作る
ピラミッド:底7枚の山型場札とめくり札で2枚計13のカードを作り、山を崩す
トライピーク:底が各4枚の3連山の場札とめくり札を使って昇順降順の連番で山を崩す



10月号 「ゴルフキャディー」

 シーズン中は月に4・5回、ゴルフをラウンドしますが、『キャディー』無しのセルフで
回ることが多くなりました。
 昔は、と言ってもバブル期の終わりごろまではセルフで回ることはほとんどありません
でした。どこのゴルフ場にもハウスキャディが十分いて、セルフで回るのは休業日のセル
フ開放時か満員状態でキャディーが払しょくしてしまった時ぐらいでした。もっともバブ
ル期は金に糸目を付けない社用族達の接待ゴルフや業界ゴルフ、銀行や保険会社のコンペ
が頻繁に行われ、ゴルフ場の予約を取るのも一苦労と言った状態でした。プレイ費も一人3
万円はかかりましたから、このころの接待ゴルフは一組12万円が相場、終わった後の飲み
会も5万円ほど必要でした。バブルとはよく言ったものです。
 
 さて、こうした気違いじみたゴルフフィーバがさめた後は、ゴルフ場の倒産、統廃合、
合理化が進み、現在では全く様変わりです。メンバーの同伴・紹介無しに回れるところが
増え、プレイ費の低価格化が進み、キャディー無しなら5・6千円台で回れるところも多く
なりました。社用が減り、替わって筆者の如き定年組、ヤングの仲間同士、女性プレイヤ
ーが目立ちます。キャディー付きでは3千円ほどプレイ費がかさみますからセルフで回る
のは自然な流れでしょう。
 
 近頃は、セルフラウンドの一般化とキャディーの高齢化で充分なキャディーを擁するゴ
ルフ場が少なくなりました。紳士のスポーツと言われ、キャディー付きでラウンドするこ
とが本来の競技でしたが、紳士以外の人々が気軽に遊ぶようになって大衆化が進み、マナ
ーや服装の乱れとあいまってセルフも普通となってしまいました。一方、ゴルフカートが
GPS付となって各ホールのレイアウト、グリーンの傾斜や芝目、ピンまでの残り距離な
どが表示され、キャディーに聞くべき情報が簡単に得られて、初めてのコースでもセルフ
で不自由なく回れます。大きなコンペをキャディー付きで開催する場合は置屋ならぬキャ
ディー派遣会社から借り集めると言うことですが、ボール拭きとクラブの受け渡し、カー
トの移動が主な仕事となってしまいます。唯一の任務はホールインワンの証人となること
ですが、やっぱり我々には必要なさそうです。



9月号 「親類縁者」

 年々『親類縁者』が減っていきます。もちろん一緒になってから判ったことですが、筆
者夫婦はお互いに兄弟の多い両親から生まれました。明治から大正、昭和初期生まれのお
じ・おばたちがいて、子供時代は盆正月や夏休みにそれぞれの家族が本家に集まり、賑や
かな時代を過ごしました。後年はおじおばいとこたちと会う機会も減りましたが、今度は
成人したわれわれ甥・姪の結婚式によばれたおじおばたちがしばらくぶりの再会を喜び、
昔話に花を咲かせたものです。そして今、こうしたおじおばの大多数が鬼籍に入り、筆者
の母が97歳で4年前に逝ったのを最後に我々は親無しとなりました。筆者のおじおばは8
人、家人には12人のおじおばがおりましたが、現在合わせて存命なのは5人です。大方は
90歳以上ですが、まだまだ長寿社会の発展に協力するつもりのようです。
 
 さて、昔の70歳は、古希と言われて古くから稀な長寿と言うことになっていましたが、
現在ではまだ現役。旅行・スポーツ・地域活動・ボランティアなど元気印年配者が街にあ
ふれています。一時、75歳以上を後期高齢者と呼ぶことにしたようですが、こう呼ばれる
本人たちに、後期=そろそろ死にそう、と言う意識が全くなく、現在では高齢者の定義を
75歳以上にしようと言う意見が多いようです。年齢の区切りはともかく、筆者は11月で
75歳。同期の仲間は大方75歳となりました。さすがに血圧・糖尿・痛風など薬を常用して
いる者がほとんどで集まればあと5年・欲を言えばあと10年はゴルフや酒を楽しみたいと
言い合っていますが、一方で毎年同期友人の訃報を聞くようになりました。
 
 特に、昨年暮れからこの6月の半年に高校同期のゴルフ仲間3人を失い、葬儀参加者も
ほぼこの仲間でしたから、さすがに3人目の葬儀では「明日は我が身」の感がして会話が
弾みませんでした。食道がん・胃がん・脳梗塞が死因です。この10月にゴルフコンペを予
定していますが、この3名に先立って、当時の先生をはじめすでに数名が物故しており、
50歳代では5・6組20名を超すコンペでしたが今回は3組ほどになりそうです。当然スタ
ート前のミーティングは「黙とう!」から始まることになるでしょう。




8月号 「大仏像」

 隣りのお寺に『大仏像』が建立されることになり、工事が進んでいます。5月放送のTV
番組「鶴瓶の家族に乾杯」で紹介され、地元日の出町以外にも知られるようになりました。
NHK朝ドラ「ひよっこ」の母親役、木村佳乃(きむらよしの)さんが旅のゲストで、こ
のお寺「寶光寺」が経営する保育園を訪ねた際にくだんの大仏の話を聞いて、住職から概
要を聞くといった内容。ブロンズ製の大仏は座像で高さ10m、台座を含めて12mとの
ことで現在台座の工事が終了、仏像の方は頭部が完成し写真で紹介されました。住職の言
では耳の長さが2mに及び鎌倉の大仏より大きいとのこと。
 お寺は家人実家の菩提寺で、義父は檀家総代でしたから存命なら仏像建立での寄進は高
額であったと思います。一方、家人の実家に住んでいるとは言いながら筆者宅は単なる檀
家の一員、並の寄進で済ませました。仏像の完成、開眼式は明年3月の予定です。寺の所
有で並びにある秋川霊園の入り口に建てられ、東京西部にこうした仏像はなく、完成後は
「日の出大仏」として町の名所になるかも知れません。
 
 ところで、お寺は隣と言いましたが、自宅裏の竹山を越えたところに霊園とは別に檀家
の墓地が広がり、家人の両親はここに眠っています。降りたところが寶光寺の本堂。正規
の行き方は道路に出て竹山の裾を半周し、山門をくぐる方法ですが20mほどの山越えが
ショートカットというわけです。墓は家人の実家姓が刻まれ、江戸期からの先祖代々が埋
葬されています。筆者たちは別姓のためこの墓に入ることはできません。従って今後この
墓に埋葬される人物はいないことになります。住職は筆者に家人の旧姓を継いで義父同様
寺の支援をしてほしいと言います。つまり養子になって旧家を継承すれば筆者夫婦の墓問
題は解消です。他には、まだ余裕のある今の墓地敷地にもう一つ我々の墓石を立てる案、
あるいは現在の墓石を家名なしの先祖代々とか思い出・やすらかになど、家名を特定しな
い墓石銘に替えて親類縁者ならだれでも入れるように改装するなどの方法がありますが、
今のところ終活に関心がなく、決めかねています。

 大仏が開眼したら、初参りで早速この問題の解決方法を聞いてみようと思いますが、生
まれたばかりの大仏様に、どれほどの霊験が備わっているかは不明です。年月を経たら何
かの効能が評判になるかも知れませんが。




7月号 「香港・マカオ続編」

 『香港・マカオ続編』です。中国は観光では15日間が滞在期限となっていますが、一国
二制度によって、両都市は特別行政区とされて外国扱い。ビザなしで長期間中国内に滞在
することはできませんが、15日以内に一度出国し、再入国すればまた15日間は滞在できま
す。こうして断続的ながら長期間滞在ができるというわけ。で、香港に地下鉄1時間ほど
で行ける、つまり一時出入国が簡単な中国南部の深センは便利、とは娘の弁。お陰で香港
通だとか。香港での我々との合流は定期出国の一環とも言えます。
 
 待ち合わせ場所は香港中心街、尖沙咀・ チムサーチョイの免税店。例のiPhone電話で
難なく落ち合いました。仲間に娘を紹介。親娘3人で夕食の予定でしたが、一行全員が同
行を希望。行き先を決めていたようですが、総勢9人では別と、彼女の香港在住の友人に
近くのレストランを予約してもらいました。創作中華の店「雲来軒・ユンライシュエン」
です。結果的にこれが旅行中の最もおいしかった食事となりました。夕食後は娘も含めて
例のビクトリアピークからの香港摩天楼見物でしたが、展望台エスカレーターは長蛇の列。
無料の展望台からは写真の数分の一ほどのビル群しか見えずで、帰路は不満たらたらでし
た。この晩はガイドの勧めで娘も我々の部屋でホテル泊。翌朝は7:30集合でマカオへの
出発でしたが、残った娘は追加料金なしで近所のお店が開くまでゆっくり部屋が使えたと
のことです。
 
 さて、次マカオ。香港側で出入国手続きを済ませて高速船1時間半でマカオ半島へ。こ
ちらはポルトガル領であったせいか、英国領の香港と違って中世ヨーロッパの趣で世界遺
産も多数。木造教会で本体部が焼失、石つくりの正面のみが残った聖ポール天主堂跡は圧
巻、日本人豪商の活躍の跡も残っていました。他に、旧城壁・聖ドミニコ教会・セナド広
場などを見て、リゾート街コタイ地区へ。ラスベガスの巨大ホテルの2・3倍はありそう
なホテルが立ち並び、宿泊先のヴェネティアン・マカオリゾート・ホテルもその一つ。1階
に終夜営業のカジノ、2階はゴンドラが浮かぶ運河が通り、レストラン・店舗など350店、
3,000室を超える客室を誇ります。客室はすべてスイートで国内外を含め今まで宿泊した部
屋では最高だったとは参加者すべての感想。結局終日このホテル内で過ごし、周辺の観光
はせずじまいでした。
 
 香港は残り30年、マカオはその数年後に特別行政区扱いは終了し、中国に飲み込まれ
てしまいますが、こうした観光地の魅力は残してもらいたいものです。




6月号 「香港・マカオ4日間」

 JTB旅物語のザ・ヴェネティアン・マカオリゾートに泊まる優雅なる『香港・マカオ4
日間』と銘打ったツアーに夫婦で参加しました。事の起こりは2月初めに同ツアーの参加
をゴルフ仲間の高校友人から誘われエントリーしましたが、他仲間の参加を待って一括申
込をしたところすでに満杯で参加不可でした。この時の実施日は4月。要するに参加者を
まとめている間に満席となってしまったのです。そこで今度は5月のツアーに再度応募す
ることに。この指とまれ方式で各自がてんでに応募、締め切ったところで仲間をまとめる
という方法を取りました。幸い全員がセーフ、同グループであることをJTBに通知し搭
乗シートやホテル部屋割りに便宜を図ってもらいました。
 ふたを開ければ全27名の参加。グループは我々のみで3夫婦と男性2名。他は夫婦主体。
5月6日成田空港8:00集合で、筆者宅から朝出発は無理、前日夕方から車で出かけ成田
ビューホテル前泊としました。以前は帰国までホテルの駐車場を無料利用できたはずでし
たが、いつの間にか1日200円いただきますとのこと。以後は要注意です。

 初日、午後香港空港着。ほぼ30℃の真夏日には閉口、これが連日でした。ホテルは半島
やや郊外の立地でしたが76階建て、我々8名の部屋は53階です。高層マンションやマー
ケットに囲まれて結構賑やかでした。夜は例のヴィクトリアハーバー越しに望む香港島の
夜景「シンフォニー・オブ・ライツ」見物。老舗ペニンシュラホテル向かいの広場から眺
めました。音楽に合わせて、高層ビル街の壁面が輝き、サーチライトが回りますが、大感
動!華麗な光の絶景とはいささかオーバー。その後オープントップバス上から市内見物と
露天商ひしめく女人街散策、別に買いたいものはなしで深夜ホテル着。第2日目、中華粥
朝食を済ませて釣鐘状の巨大な線香が煙る「文武廟マンモウミウ」へ。3・4週間は火が消
えないと聞きましたがお値段は不明。家人はこのお寺が気に入った様子。街中の長大エス
カレーター・日曜のせいで満席のセントジョンズ教会・香港島南端の旧欧米人住宅街のス
タンレーなどを見て昼食後免税店内で解散自由行動。実は筆者の3女がこの時期、香港の
隣町深?(シンセン)に2か月ほど遊びに来ていて友人宅に滞在中。ここで落ち合うこと
になっていますが、このランデブーの顛末とマカオの様子は次号でお伝えすることにいた
します。




5月号 「5月連休」

 『5月連休』になると竹の子目当ての来客が多くなります。拙宅裏山に竹林があり、ち
ょうどこの時期が竹の子の収穫時期です。昨年は豊作で250本の収穫でしたが、今年は芽
出しが遅く、収穫量も少なそうです。それでも、裏庭のテーブルを囲んで、ビュッフェス
タイルの竹の子パーティが3組予定されています。最初が長女の友人家族で長女のフラダ
ンスの先生とその娘一家、立川在住でご主人はドイツ人。日本の一般家庭が見たいと言う
ことで2月に拙宅を訪問済みで、その時から竹の子掘りに興味津々、こちらは一緒に飲む
地酒の吟味中です。
 次はサッカー母の会と勝手に呼んでいますが、要は愚息の小中学時代のサッカークラブ
のお母さん方の集まりで既に20年以上の付き合い、参加は6・7名。筆者も顔なじみで、
この日は女子会の下働きをするつもりです。3組目は現役時代の法人会から派生した立川
昭島青梅のゴルフ・飲み仲間5・6名。KG会と称するこの会は既に昨年実施済みでした
が、参加できなかった会員の希望で今年もという次第。毎年高校・大学友人・会社など順
繰りで実施していますが2回目は初めてです。
 いずれも東京でいっときピクニック気分。山で竹の子を掘り、かまど小屋で茹でたり、
青空の下、家人の天ぷら・ちまき・煮物など竹の子料理を楽しんだりと非日常の半日です。
こちらも自分で掘った竹の子をお土産に帰るご一行様を見送る時は疲れも忘れて満足感に
浸ります。
 
 拙宅は東京の西はずれにありますが、青梅線福生駅からバス20分で到着。門の前がバ
ス停で田舎の割には便利、飲んで帰ってもそう厄介ではありません。圏央道日の出ICか
らも1Km、5分ほどのところで、要するに来やすく帰りやすいところなのでしょう。連休
に限らず、前の道を通ったついでに寄ってくれる知人がいたり、盆暮れの訪問客もあって、
二人住まいにしては結構賑やかに暮らしています。それにしても来客が多い分、庭や玄関
先、バラの鉢植え、並んだ盆栽の維持管理、居間客間の体裁などそれなりに手間がかかり
ます。
 竹の子パーティも話を聞いて参加希望友人多数、当分連休の年中行事となりそうです。
             
             (注:竹の子については既報2014年5月号を参照ください)




4月号 「ごみ出し」

 『ごみ出し』ができない高齢者が増えていると聞きました。我が国が高齢化社会となっ
てから久しいのですが、この間様々な社会問題が顕在化して、長寿国と言ってもめでたい
ことはあまりないように思います。すでに、介護・医療・年金など社会システムの維持が
どの自治体にとっても大きな課題となっています。そして、認知症運転の次はゴミ屋敷。
 家庭ごみは収集日とそのごみの種類が決められて、結構煩雑です。自治体ごとに可燃ご
み・不燃ごみ・資源ごみ・有害ごみ・粗大ごみなどの分類と出し方が規定されて、間違え
ると注意書き付きで戻されたりします。以前、アパートで一人住まいの若い女性が、あら
ゆるごみをベランダに積み上げて生活している様子がTVで紹介されましたが、ゴミ出し
が面倒で、場所があればすべてのごみ・不用品をそこに押し込んでしまいたい気持ちは理
解できます。
 
 さて、高齢者のごみ問題。セルフネグレクト(自己放任)と、例によって横文字で呼ば
れていますが、要するに、生活に必要な掃除・洗濯・後片付けなど身の回りの世話が自分
でできなくなってしまう状態。若い時にできたことが年を追ってできなくなるのはあたり
まえのことで、何も高齢になるのを待つまでもありません。複雑面妖なゴミ出しの放棄は、
特に一人暮らしの高齢者には自然な流れでしょう。こうして自宅がゴミ屋敷と化してしま
い新たな社会問題となっています。所沢市や足立区などは高齢者を対象としたゴミ出し支
援制度を制定し、定期的に家庭を訪問して分別収集を行っているとのことで、年々利用者
は増加傾向、同様の支援を行う自治体も増えているようです。
 
 かく言う筆者に関しては、今のところゴミ出しルールに沿って対処できていますが、先々
は保証の限りではありません。もっとも我が日の出町は玄関先にゴミ袋を出しておけば回
収されるシステムで、プラスチック・ビニール類も可燃ごみと同じ扱いで分別は不要とあ
まり手間がかかりません。更に拙宅では野菜作りのため、生ごみは捨てずにコンポストに
入れて肥料化していますから、多少はごみの減量にも協力しているつもりです。




3月号 「果樹園」

『果樹園』と呼ぶには貧弱だが、筆者はそこをそう呼んでいる。竹の子の採れる裏山のふ
もとがいっとき平らになったテラス状の場所で、更に一段降りると拙宅の裏庭になる。南
向きで日当たりが良く草が生え放題、それでも4月から5月にかけては山から降りてきた
竹の子が5・6本は収穫できた。竹の成長力は目覚ましく放っておくと芽出しから一月余
りで背丈以上に伸びるし、繁殖域の拡大も早い。そこで竹の侵入を防ぐため、この場所を
開墾し果樹を植えようと思い立ったわけ。平坦部分は東西8m・南北6mの約14坪。竹
の根の掘り起こしはツルハシとスコップを使って数日で完了。地下10~20cmと浅い
ところを這っているが直径は3~4cm、分断して抜き取った根は総延長が10mほどあ
ったろうか。
 ここにサクランボ・温州ミカン・早生ミカン・富有柿・すもも・ジューンベリーを植え
つけ、山の登り口に伊予柑とレモンも追加。サクランボとジューンベリーは旧宅からの移
植、他は苗木の購入である。この春で開園から4年。サクランボは一昨年東側の枝に10
数房実ったものの昨年は不発、幹は直径6cmと最も太い。柿は10個ほど結実したが青
いうちに落果して、収穫は3個、味はまあまあ。ミカンはこの正月が初収穫、早生ミカン
は大振りの果実が20個以上と健闘したが味はいまひとつ。温州ミカンはほぼ全数落果し1
個だけ収穫、皮がはがれにくかったがこちらの方が甘かった。残りのすもも・ジューンベ
リー・レモン・伊予柑はまだスイッチが入らず音沙汰なし。目下、剪定や施肥の勉強中、
文字通り早く果樹園になるよう願って、数日前には根回りを浅く掘り油粕を蒔いた次第。
 もともとこの家には柚子と富有柿それに白梅の古木もあって、大した手をかけずに毎年
家人と二人では食べきれないほどの果実が獲れる。年によってバラつくが柚子の木は2本
で100~300個、柿は50~100個、梅は7・8kgほど。柚子は収穫して人に分け
たりゆず湯にしたりでも処分しきれず、柿は鳥と分け合って食べ、梅は梅ジュースと梅酒
に余さず使っている。

 野菜作りに果物作り、それに毎年植え替えが必要な盆栽も。野菜作りは別にして、果樹
も盆栽も成果が出るまで10年単位の道楽だが、いつまで続けられることやら。




2月号 「保養所」

 このところ毎年、健保の『保養所』を利用していて、この2月も予約済み。当社は東京
電子機械工業健康保険組合に加入しており、この健保は直営保養所として「伊豆山温泉保
養所」と「上総一ノ宮海浜保養所」を所有している。数年前まで「越後湯沢温泉保養所」
も所有していたが閉館売却されてしまった。一宮は海水浴、湯沢はスキーとどちらかとい
えば若者向けの施設で組合員の高齢化も湯沢閉鎖の原因か。筆者はいずれにも宿泊してい
るが現在はもっぱら伊豆山の方。この伊豆山保養所は露天風呂・プール・テニスコート・
カラオケルームなど設備も充実・客室は和洋3部屋続きで広々、周辺には他健保や企業の
保養所が多数建設されているが、外観を見る限りこの保養所は上位の部類だ。
 
 保養所といえば大企業や健保の所有する施設で、これら従業員や組合員、その家族しか
利用できないものだったが、近年ではレジャーの多様化・リゾートクラブとの競合などで、
グループ人員だけでの稼働率やコスト維持が困難となり、共同利用や一般開放で運営を継
続しているものが多い。例の東芝健保でもかつては保養所を多数所有し、筆者も東芝社員
やOBと何回も勝浦・軽井沢保養所に宿泊してゴルフ連ちゃんを楽しませてもらったが、
当時からパナソニック健保との相互利用が実施されていた。現在ではこうした相互利用で
も維持困難となって勝沼・軽井沢など数か所の保養所が閉館され、直営は2か所となって
いる。もちろん、これは健保側の事情によるもので、今話題の東芝本体の不正会計や原子
力事業の失敗とは無関係である。
 多摩地区では一般にも開放されている保養所として「ブリジストン奥多摩園」が評判で、
特に紅葉が有名。青梅線二俣尾駅近くにあり、筆者も庭の写真を撮りに行ったことがある
し、家人は友人と宿泊している。今上天皇夫妻と皇太子夫妻も訪れているとのこと。
 
 こうして見ると、旅行の宿泊先として保養所を検討する余地が十分ありそう。当健保も
東振協(東京都総合組合保健施設振興協会)の会員で他の加入健保の保養所が相互利用で
きる仕組みで、伊豆・箱根・日光・房総・上越・京都など多くの保養所が格安で利用可能
だ。なるべく保養所の利用を増やして規模縮小を食い止めたいもの。皆さんもご利用あれ!




1月号 「正月」

 年賀状を出して神棚をきれいにして、酒・焼酎などを買いそろえると『正月』を迎えるだけ
となる。もちろん、家人のやることは数えきれず、手伝から逃げるわけにはいかないが。今回
は暮れに居間のTVが故障し、4K対応TVに買い替えたばかり。50インチが主流のようだが
置台の都合で43インチとなった。今までが32インチなのでこれで充分の大きさ。正月前後の
番組が楽しめる。と言っても紅白やお笑い・かくし芸物には関心がないから、往年の名画とか
観光旅番組を見る程度。あっ!箱根駅伝は飲みながらの自前解説で見ている。4Kの試験放送
も始まっているようなのでこちらにいい番組があることを期待している。
 
 さて正月。朝風呂に入るのは温泉旅行を別にすれば元旦のみ。朝日が差し込む風呂は極楽、
上って新年の挨拶をしてから、正月料理で一杯となる。年賀状の配達を待って飲み続けたいと
ころだが、10時から裏山にある愛宕神社(小さな祠で正月のみ開帳される神社)で行われる元
旦祭に出席、近隣10軒ほどの氏子と共に初詣だ。露天にシートを敷いて、子供たちの舞の奉納
があり、出張宮司の祝詞の後お神酒でお清め。この広場からイオンモール日の出、落成なった
立川のランドマーク「タクロス」が望め、なかなかの眺め。更に目の下、神社続きの「寳光寺」に高さ12mの大仏座像建立計画が進められ、1・2年内に完成予定。寺の檀家として浄財
の寄進も求められていて悩ましいところだ。終わって休む間もなく、自治会の新年会が15時から。こちらは会員130世帯ほどで60名ほどの参加。役場・秋川流域衛生組合(ごみ最終処分地)の管理職も呼ばれる。まだ町内になじみが薄いため毎回参加しているが、アルコールも回ってなかなか名前顔が覚えられない。こうして元旦は一日中酒浸り。
 
 2・3日は例の駅伝や子供たちとの家族新年会。この時期決まって、3・4Kg体重超過に
なってしまう。外出は4日以降、破魔矢は青梅市のレトロ通り商店街にある住吉神社の初詣で
買い求め、古い破魔矢やお飾り・お札類は塞ノ神のために残しておく。松の内明けの7日に
子供会がこれらを回収、8日早朝5:30から道路を隔てた河原でどんど焼が始まる。ゴルフ
以外ではこんなに早く起きられず、昼頃子供たちが届けてくれる繭玉を食べて参加したつもり
だ。2月には稲荷神社で初午祭もあり、燃し火でやいたイワシや油揚げを肴に一杯の楽しみが
残っていて、飲み行事の多い町内ではある。


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