2012年のコラム
今月のひと言
当社のコラム担当 「今が好き♪」 氏のコラムです。毎月連載します。
2012年 | 12月号 「三陸の被災地」 |
---|---|
11月号 「京都大覚寺」 | |
10月号 「生涯現役」 | |
9月号 「五日市物語」 | |
8月号 「大丈夫か民主党」 | |
7月号 「株主総会」 | |
6月号 「金環日食」 | |
5月号 「Light Rail Transit」 | |
4月号 「盆栽」 | |
3月号 「日野オートプラザ」 | |
2月号 「フィルムの時代」 | |
1月号 「天文ファン」 | |
コラムTOPへ |
12月号 「三陸の被災地」
ここ2ヵ月で「三陸の被災地」を訪れる機会があった。例の大震災後、筆者の復興協力は寄付金だけ、報道写真で現地の様子を知る程度である。わずかに昨10月の千葉県ドライブ旅行の折、旭市に立ち寄ったのみ。それでも市の海岸部で流された住宅跡を見たり、街を見下ろす飯岡灯台から崩壊した漁協やがれきの山を望んだりで、東北から遠く離れたこの地での、まさかの津波被害は見知ってはいたのだが。
さて、三陸。10月は車で仙台での東芝ITユーザー会主催の復興シンポジウムに出席。福島以北の東北道は本格復旧工事中で一車線規制による断続渋滞が何か所もあった。ご当地出身のタレント生島ヒロシさんの当日体験談などを聞く。奇しくも今回と同じホテルで講演中、地震で大揺れのなか話を続けたというプロ根性、津波で妹さん夫婦を失ったという。 もうお一人は東芝東北復興推進室長の支援活動報告。電機・自動車・建築など大企業はこうした部署を設けて地域復興に貢献している様子。大いに競争してほしい。
シンポ後は石巻に一泊。翌朝、以前訪れた遣欧船サンファン号記念館に寄るも被害修理中で閉館。ここからリアス式海岸沿いを北上することに。途中の小さな漁港は被害そのまま、高台に仮設住宅があったりで復興の兆しは見えず。女川町では壊れた車の山と横転したビルの脇を通過、北上川沿いでは放置された校舎から津波遡上の跡がありあり。丘を下りて南三陸町市街地へ。なんと、ビルの残骸がちらほら残るほかは、一面土台を残した原っぱ状態で
道路と真新しい電柱が立つのみであった。例の最後まで避難を呼び掛けた町役場は骨組みでたたずみ、玄関前は花や千羽鶴、供え物で埋め尽くされ、他県ナンバー車の立ち寄り所となっていた。また、2月末オープンの仮設店舗『南三陸さんさん商店街』も広い駐車場が満車の盛況で昼食に刺身定食をおごり、地酒・かまぼこ・バケツ一杯のムール貝をお土産に帰った次第。
11月は年金基金の石巻見学研修会。こちらはバスツアーとのことで新幹線参加。石巻は南三陸町と違い、被害跡地に続々と工場・施設・住宅を建設中で活気がある。案外、南三陸町なども高台移転より元通り復興で、頑丈な避難所建設による避難優先、一方で津波被害は一部容認する再興計画の方が現実的かも知れない。いずれにしても現地ともども、早い復興を願わずにはいられない現地見聞であった。
11月号 「京都大覚寺」
京都嵯峨嵐山、名刹「大覚寺」の中庭を貸し切った豪華なレセプションに参加した。京都は昨年3月11日、同じ嵐山は渡月橋のほとりにある年金基金保養所『らんざん』に研修会で一泊した後、梅小路蒸気機関車館で例の東日本大震災の大地震を体験して以来の訪問。当時は保養所の裏手にある、これも名刹天龍寺を見たのみで大覚寺もこの地域にあるとは知らずじまい。
今回大覚寺の講堂で自然エネルギーの大家エイモリー・ロビンス博士(ロッキーマウンテン研究所代表)の来日記念講演とシンポジウムがあると聞き参加したもの。主催者『京都エコエネルギー学院』の学院長じきじきの招待であったが、実はこの学院長、拙文にたびたび登場する高校同窓の槌屋氏。システム技術研究所社長でエネルギーが専門、ロビンス博士の再生可能エネルギーの古典的名著『ソフトエネルギーパス』の邦文訳者で両者は30年来の
知己。
シンポジウムには経産省新エネルギー部長・民主党前内閣官房副長官・滋賀大学長・前グーグル日本会長などが参加。原発代替はロビンス博士が実践中あるいは提案する再生可能エネルギーと様々な省エネ技術で可能との論調で進み、特に冒頭基調講演で新エネルギー部長から我が国は原発廃止方向でエネルギー政策を進めるべきだとの発言があり、当日の収穫となった。
シンポジウム招待者は約200名。シンポ閉会後は大覚寺境内でのレセプション(立食会)。唐門と御影堂が向き合う中庭の石舞台で開会挨拶。落語家かと思いきやこれが京都市長、和服が定番制服とのことだが、不似合い。ただ京都の寺社から高層の建造物等が見えないよう規制しているとの話は賛成だ。この寺、もともと嵯峨天皇の御所だったものを天皇没後皇后が寺社としたもので正式名称は旧嵯峨御所大覚寺門跡、空海を開祖とする真言宗大覚寺派本山である。この頃の夜間は門を閉ざしひっそりであるが、当夜は伽藍を照明、大沢池には舳先に龍を付けた2艙の屋形船を浮かべて池を一周の舟遊び、池脇の五大堂から湖上にしつらえた舞台での雅楽観賞と大サービス。学院のスポンサー日本テレネット社の計らいらしい。帰りに博士の来日目的でもあったダイヤモンド社発行の大著『新しい火の創造』も進呈され、言うこと無しの京都の夜であった。
10月号 「生涯現役」
「生涯現役」を地でいったおじいさんの話です。と言っても筆者の義父、家人の父親ですが。大正5年9月12日西多摩郡日の出村に生まれ、大正・昭和・平成と激動の時代を生き抜き、奇しくも誕生日と同じこの9月12日96歳で他界しました。隣町青梅市の農林高校にかよい、戦争・出征をはさんで中大法科を卒業、復員後就職・結婚・子育て。仕事は都内の製鉄会社に勤め、当時の定年55歳まで30年間の会社勤めを終えました。
実はこの父の真骨頂は定年後にありました。定年と同時に村の収入役に迎えられ、几帳面な性格をいかして町(昭和49年から町制施行)の金庫番を7年に渡って務め、その後選挙管理委員長を歴任、高齢者事業団の設立にも奔走して二代目シルバー人材センター所長。公職をはなれたあとも、特別養護老人ホーム理事、日本書道学会員として町のカルチャー教室の習字指導を担当、みんなから先生と呼ばれていました。更に菩提寺寶光寺の檀家総代と、町と地域に尽くして定年後40年間の現役生活。あやかりたいものです。
趣味は書道に将棋、読書に野球観戦など。将棋は筆者も何度も手合わせしましたが90過ぎの年寄りに大幅負け越しで、今となっては挽回のしようもありません。読書好きで、新聞の読書欄に紹介された話題の本を、バスに乗って福生市の書店まで行き買い求めてくる元気さ。何冊も本を借りていますが、もう返さなくてもよさそうです。晩年、長寿と元気の秘訣を問われて「自然体と平常心だな~。」と答えて、体力も気力も十分。家でじっとしていることはありませんでした。今年4月中ごろから肺気胸で入退院し、退院するとすぐ書道の課題書を書いて応募するなど一時回復、つねづね言っていた「俺はボケない。」との言葉通り、最後までしっかりしていました。きっとボケる暇などなかったのでしょう。こう思い返すと、なんと身近に人生のお手本・高齢者の鏡ともいえる人がいたのです。最愛のおばあちゃんをはじめ、娘と孫たちにみとられて逝きました。おじいちゃん安らかに!
9月号 「五日市物語」
「五日市物語」という映画が出来ました。昨年夏の第27回あきる野映画祭で完成披露試写会があり、以来、地元ともいうべき日の出イオンモールをはじめ立川、銀座などのシネコンで上映されました。我が町、五日市町と秋川市の合併15周年を記念し、あきる野市の肝いりで制作された純粋なご当地映画と言えます。ヒロインの情報記者や老舗旅館の女将、市役所の管理職など主要な役どころはプロの俳優ですが、スタッフや出演者の多くは市民ボランティアです。いくらかなじみのある大役はヒロイン(友里役:遠藤久美子)の取材に同行し、五日市の見どころを案内する市役所職員の栗原雄介役。実は隣町青梅市在住の劇団員山崎佳之さんが抜擢されました。監督には演技は不要、普段の仕事だと思ってやってくれと言われたとのことで、これがなかなかの好演で映画の成功に文字通り一役買った存在。取材をもとに「五日市物語」と題した町の歴史・文化・観光を紹介する友里の著書が完成し、栗原君とのほのかな愛情を暗示して映画は完。市民、近隣住民あるいは観光客にはひいき目も手伝って、結構良くできた映画との評判。今年になっても1月から2月にかけ金沢・山形・沼津・高崎でも上映されています。
五日市映画祭から続くあきる野映画祭。毎年3・4日間かけて20本ほどの新旧話題の映画を連続上映します。映画館がなくとも五日市は映画の街でもあったのです。今年第28回映画祭は7月に秋川駅のキララホールで行われ、
「五日市物語」も要望にこたえて再上映。この映画が刺激となって各市町村でこうしたご当地映画が作成されれば面白そうです。
ところで、五日市には「ヨルイチ」とよばれる商店街のイベントがあります。知ってはいましたが行かずじまい。映画でも紹介され今年は10回目。毎年8月最後の土曜日開催、夕方4時から夜10時まで、五日市駅前から西へ続く1.5KMの街道で行われます。この25日に家人と出かけました。商売を別にして畳屋がペルー物産店、建材屋は焼き鳥、薬局で印伝と思い思いの出店があったり、出前足湯・ジャズバンド・和太鼓演奏、人力車・虚無僧やキツネ化粧の女子高生が通ったりで、あちこち寄りながら夏の夜のそぞろ歩き。ビールに焼き鳥・焼きまんじゅうが夕食代わりでした。
8月号 「大丈夫か民主党」
「大丈夫か民主党」と言ってもすでに死に体の与党。それでも自分が自分に課した使命を全うしようとする野田首相はエライ‥‥。政権をみずから投げ出した安倍・福田・鳩山などの元首相たちとは大違いだ。取りようのない責任を『私が取る』といって強引に再稼働を決めた大飯原発だが、『この夏は原発無しで乗り切ってみよう、責任は私が持つ』と言えば、国民も企業も必死に協力したはず。もし問題が起きてもこちらの責任ならいくらかとれたと思う。再稼働がどうしても必要であったとしても、保安院に替わって設置される原子力規制委員会の設立を待って、この委員会の規制の下に再稼働の断をくだすのが筋だった。
こうした独断専行に対し、毎金曜日の首相官邸や国会周辺での脱原発デモが定例化し、全国にも広がっているが、あきれたことに鳩山元首相も参加したとのこと。CO2削減の公約をした張本人だったことはさておいて、自分が政権を投げだし、後継者に託しておきながらその施政に反対するくらいなら、なぜ首相の座にとどまり自分の主義を実現しなかったのか、いまさら出しゃばるなと言いたい。デモより党内で主張すべき立場の人間だろう。党の制御不能ぶりは小沢元代表の離党騒ぎや党員のデモ参加だけでなく、例のハイブリッド輸送機オスプレイの国内配備問題にも現われている。首相は『装備に関しては先方が決めることで、規約上日本はどうこう言える立場に無い』との見解だが、自分の周辺に危険なものが持ち込まれれば、誰であれ反対するのが当然。こちらも党の前原政調会長が政府に善処を求める発言をしている。社長の発言に部長が苦言を呈しているのだ。
原発に関しては、石川県志賀原発直下に活断層が走っている可能性があるという聞き捨てならないニュースが報じられ、大飯原発敷地下の断層も活断層かも知れないとのこと。それぞれの調査は北陸電力と関西電力が行うと言うから、あんぐり! 電力会社のストリーで報告書が作成されることは目に見えている。もし、再び福島レベルの事故が起これば、もはや問答無用、国も企業も国民も脱原発とせざるを得ない。事故は起きてからでは遅いと云う。
であれば道はひとつ、即時原発全廃だ。世界で唯一、原爆と原発の被爆国日本。もう懲りていい頃だが‥‥。
7月号 「株主総会」
6月後半は「株主総会」が多い。筆者も野次馬参加で毎年、1・2社の総会に出席している。近頃は総会日も分散され、議決権の単位株数も下がって、出席し易くなった。 電機・金融など会社取引のある企業が主だがこうした大手の総会はおおむね雰囲気が固く、まじめな質問や意見に交じって、悪意のある株主提案や質問がでたりであまり楽しめない。時として、トンチンカンな質問や笑える提案などがあったりすると気がなごむが、硬軟いろいろな株主への対応で、株主を選べない上場企業の総会はどこも大変だ。無事終了となった時はどこの社長にもほっとした表情が浮かぶ。
立川市に本社を置く、スーパー128店舗のほか、ドラッグストア103店舗も展開の中堅スーパー『いなげや』の総会は面白い。株主優待目当てで株式を購入したものだが、1000株所有で100円割引券が半期に100枚送られて、あまさず利用している。昨年、初めて総会に出席。例年、立川市民会館で開催の由。出席者には1000円の買い物券がでる。300人ほどの参加者中、半数は主婦層で連れ立っての出席も多く華やか。××店は空調効きすぎ・店内放送がうるさい・野菜の鮮度が時々他店に劣る・小割り売りを増やせなど女性ならではの鋭い指摘。会社側は丁寧に回答、総会が改善提案の場となってメーカーとは違った視点での質疑が新鮮。
さて今年。単位株がさがって100株となり出席増を見込んだのか、会場を立川グランドホテルに変更。4階ホールに600名、超過時にそなえ3階ホールも用意。結局500名ほどの出席だった。どうしたわけか、女性出席が全体の2・3割ほどに減員。勢い、提案・質問も男性主体となったが、定年組年配者で店通いも頻繁といった株主たちらしく、今回は奥さんに替わっての参加か。『ポイントカードよりサービススタンプの方が手続きが簡単で良い。』との希望に会社は、従業員の不正防止上カードにしたと、なるほどの回答。親類知人へのスタンプ奮発は容易に想像がつく。スーツネクタイの経営陣にクールビズでやれと提案するもの、地図があるのに駅から会場まで案内人を置けなど、会社経営には無関係の発言もあって、どちらかと言うと女性多数の昨年総会の方が面白かった。
株は今が買い時、株主優待のある銘柄を選んで、永く所有がお勧め。一度は株主総会にも出席あれ。
6月号 「金環日食」
先月21日朝は「金環日食」の話題一色。我が国では多くの人が久しぶりの天文ショーを楽しんだはず。筆者も予報は曇りとあったが、普段より早めに起床。雲でおぼろに見える太陽にがっかりしたが、太陽観測用に準備した3倍のオペラグラスでのぞいていると6時半頃、太陽直径の5%ほど、右斜め上に月が入り込んだ状態が確認でき、その後も雲で見え隠れを繰り返していたが金環食の開始から終了まではほぼ安定して観察できた。あきる野市では金環食開始7時31分48秒、終了同36分45秒と言う結果。時刻は電波時計で正確な割に、リングの閉じ・開きの判定に数秒の誤差が避けられず、目安値と言ったところ。TVでは遅れて食が始まった前橋の金環を中継、月の山などで環周縁が点線状になった見事なベイリービーズリングを大写し、実況のアナウンサー達も歓声を上げていた。
太陽がふくらみ始めてから車出勤、信号停止時は太陽を仰ぎ見て進行を見守り、会社到着後は玄関先に出て終了時間を計測。幸い始業時刻9時前の8時55分50秒(立川市)に太陽が円に復帰し、世紀のショーは幕となった。
日食で記憶にあるのは2回。最初は小学生。過去の東京での日食を調べると昭和28年(1953年)2月14日の午前中に食分46%の部分日食(昔の表記は日蝕)が起こったとある。当時小学4年生、土曜日で天候不明であるが多分これ。2回目は日記に記載があって間違いなし。昭和56年(1981年)7月31日金曜日晴れ、正午前から14時半にかけての食分59%の部分食。前日、横田基地にNASAのカイパー空中観測機(ロッキードC141輸送機)が皆既日食観測のため飛来してきたのを見ている。最初の観測はガラス片にろうそくの煤を付けた母親手作りの観測具と姉の黒い下敷きで、近所の人たちも一緒だったと思う。次は会社の駐車場から同僚とフィルムの未露光部分を貼った手作り紙メガネで見ている。昔の日食観測はこれが常識で事故の話も聞いていない。昨今は安全安心に過剰反応で、煤ガラス・下敷き・フィルムなどでは絶対見るなと大騒ぎだ。おかげでこちらも初めて観測費1,980円を投資、観測グラスを購入した次第。
6月6日、今度は豆粒ほどの金星が太陽面を通過すると言うから投資を有効活用するつもりだ。
5月号 「Light Rail Transit」
株式会社ライトレールと言う会社がある。社名の由来は近代型の低床・エコ仕様の路面電車「LRT:Light Rail Transit 」からとったもの。鉄道を核とした新しい交通ビジネスに関するセミナーが中央区民館八丁堀であると聞き参加した。講師は同社阿部社長。JR東日本に17年間在籍後独立、現在創立7年50歳のアイディアマンで好感がもてる。著書に『満員電車がなくなる日』もあり、わが国鉄道は、世界初にして死亡事故ゼロの新幹線・正確な定時運行・都市圏乗車人口などで世界一だが、一方で、先進国では例のない超満員電車・地方過疎路線・新幹線以外は低速運行・他産業に比べ低サービスなど課題も多く改善の宝庫だと指摘。車は限界で今後中国・インド・アフリカなど後進国がマイカーを持てば世界所有7億台が数10億台に膨らみ地球が持たない。道路建設より、鉄道敷設の方が安
く、死亡事故も比較にならないほど少ないなど、省エネ・輸送力・速度・定時性ですぐれている鉄道は今後の成長産業であると、多様な提案が示された。
富山ではLRT導入で業績がのびたが、市の分析では新型電車より、運転本数が増えて利便性が増したのが主因だった由、過疎線は電車が古くても増発すべきで、1日数本ではますます乗客が逃げてしまう。急行・準急・普通のランク分けはダメ。主要駅に全ての電車が止まってはこの駅がネックでダイヤ密度が増やせない。停車駅が異なる数種の快速を走らせるなどダイヤの改定をすべきだ。カード利用と座席の開発で座る客と立つ客での運賃格差の検
討などなど。自動車移動派で、鉄道模型・撮り鉄派でもある筆者にはいずれをとるか迷うところだが、道路渋滞がなくなり、自動車の定時性も増せば逆に車もより快適になって賛成だ。
EVに乗換える必要があるかもしれないが。
ライトレール社の将来構想は大手鉄道でのコンサルや提案実現、LRT路線経営であるが、社歴・資本からまだ先の話。近々横浜市営交通の本牧バス路線の事業譲渡を受けて、鉄道・LRTに替わるバスで持論を実証していくと社長の意気込みは高い。終わりに、ついては増資準備中でみなさまにご協力をと言う話も。今まで友人の企業や新規起業のいくつかに出資してきたが成功例は1社のみ、通算赤字の身には飛びつくわけにはいかないが、見守りと
応援はしていきたい。
4月号 「盆栽」
今、欧米をはじめ海外で「盆栽」が人気だ。円高にも関わらず、衰退気味の国内をしり目に海外で売上が伸びている。カラオケ・スシ・ツナミなどと並んでBONSAIも今や国際語だ。昨年11月に盆栽松の最大産地、高松市で開催された「盆栽産地見学会」はイタリア・オランダ・ベルギー・ベトナム・中国と参加者の大半が外国人バイヤーや愛好家で盛況だったという。大量に買い付ける様子がTVでも紹介され、世界に注目されている日本の文化が話題になった。鉢の中に自然を作りだす神秘的で繊細なアートとして、古来の園芸技術が評価されての結果で、こうした海外の動向が逆に香川県はもとより川口市安行・大宮盆栽村など国内の盆栽農家を元気づけている。
かく言う、筆者も庭にいくつかの盆栽鉢を並べている。幸い、家庭を持って以来戸建住まいで、狭いながらも庭があり、休日には水やり・施肥・剪定・整枝や植え替えなど一応の手入れは行っている。ことの起こりは長女の誕生で、家人が子育てならこちらは盆栽ということで、黒松のタネを播いたのが始まり。完成した盆栽を買って楽しむなら別だが、種や苗から何十年も丹精して育てることを考えれば余命が限られた年寄りの趣味とは言い難いのが盆栽。幸い松は10本ほどの苗が育ち勝手に大きくなってはいったが、年を追うごとに枯れ、結局、今ではたった一本が残るのみ。樹齢は長女と同じ37年、この間、幹太はやっと2センチほどに成長したがまあまあの長女と比べ、見てくれは今一つ二つ。これが五葉松だったらもう少しましだったろうと今にして悔んでいる。他にお寺から苗を拾って育てた銀杏の2本仕立て。枝分かれが容易でなく20年ほどたってようやく見られる姿になり気に入っている。残念だったのは近所の山から抜いた神代杉、双幹に育ち、足元の杉苔も見事で写真写り
も良かったものだが冬の水やり不足で枯死。杉についてはもみじ・槇・ソロ同様、近くの林で苗が見つけられるので再度挑戦を狙っている。
年寄りの趣味とは言い難いとは言いながら、毎日時間があるというのが年寄りの利点。菊・バラ・朝顔などの手入れもそうだが、盆栽も手間暇かけた分だけ相手も応えてくれるということか。
3月号 「日野オートプラザ」
「日野オートプラザ」と言う展示場があります。この名前は以前から聞いたことがあり、中古車展示場と思っていました。ところが、日野自動車の歴史館ともいうべき施設で、正式名称は「日野自動車21世紀センター」。社員研修センターと展示館の新しい施設でした。住所は八王子市みなみ野。行ってみればたまに利用する相武カントリーの近くで、みなみ野シティというニュータウンの北はずれ、道路から野外展示のパリダカールラリー、カミオン(トラック)部門優勝車が見えて目を引きます。入館前にこれらトラックや沖縄で活躍したハシゴ消防車などが見学可。入口で木造ボディのトラックがお出迎え、入場無料で受け付けもなく無人。エレベーターで2階から見学せよとのパネル指示で、あがるとすぐにミュージアムショップと喫茶室、用事があれば呼び鈴を押せとこれもメモ。ウイークデイで人影はなしでしたが、展示はなかなか。日野自工の前身「東京瓦斯電気工業」が開発した星形12気筒航空エンジンから戦後のバス・トラック用エンジン、名車ルノー・コンテッサなどがずらり。1階へはスロープを半周しておりるしくみで、壁面は車両写真に年表、手すり側から円形の展示ホールが見渡せます。広いホールには往年のボンネットバス、コンテッサ各形式、ルノー、最新の13リッターエンジン、運転シミュレータなどなど。子供連れのおとうさんと若いカップルも見学中、戦前に世界一周記録を樹立した東大航研機は前述瓦斯電の開発で、5分の1模型がありました。
特別展示で戦時開発の大型エンジンを見ていると、作業服に資料を抱えた同年輩の係員とおぼしき男性が寄ってきて、構造説明。壁を見るとキャタピラー付きの装甲車や兵員輸送車の写真、こうした軍用エンジンの開発もあったとのこと。聞けば元日野自工のエンジン設計者で現在は本館勤務、ルノータクシーや5球スーパーコンテッサの話が通じました。「いまはトヨタのバス・トラック部門で、乗用車はもう造れませんね~。」と問うと、「そうですね~。」といささか寂しそう。日野市の本社工場も古河市移転が本決まりで、日野自動車の新時代がすぐそば、今後の発展を願っています。
2月号 「フィルムの時代」
ついに「フィルムの時代」の終わりか。フィルムをはじめ写真用品で一時代を築いたイーストマン・コダック社の経営破たんが米国に衝撃を与えている。フィルムで20世紀の写真・映画文化を牽引した名門企業の凋落は、遠く平安時代から語りつがれてきた諸行無常・盛者必衰の言葉どおりの顛末であった。近年までダウ平均株の構成銘柄であったが、富士フィルムなどライバル企業との競争激化、フィルムに固守するあまりデジタル化の波に乗り切れず、さらに事業変革や多角化も遅れての当然の帰結と言ったら酷だろうか。デジタルカメラを最初に開発したのはコダック社であったと言うから皮肉だ。
今後は連邦破産法の適用と金融大手からの融資を受けて再出発を図るとのこと。
一方、デジカメ全盛とは言いながら、フィルムカメラも静かなブームで、観光地などに行くと名機ライカM3や往年の高級カメラを下げた年配者に出会ったりする。若いころ手に入らなかったあこがれのカメラが、今になって中古ながら適当な値段で手に入るようになったためである。プロカメラマンにはフィルム愛用・併用者も多く、今でもカメラ量販店にはコダックも含めて結構な種類のフィルムがそろっている。一度廃止され、忘れられた蒸気機関車やLPレコードが復活したように、コダックとアナログカメラの復活にも期待したい。
また昨今のミラーレス一眼はアナログ用の交換レンズを装着できるアダプターリングも備え、昔の一眼レフやライカマウントのレンズをデジカメで楽しめるようになった。 レンズはこうして再登板となったが、ボディの方もなんとかデジタル化出来ないものか。筆者の提案はこうだ。フィルムカメラには裏蓋があり、開けるとフィルムパトローネの格納スペースと露光面の押し板が必ずある。要は裏蓋のみを新規に開発して取換えればデジタル化が完了するはずで、押し板部分にイメージサンサーを、パトローネ部分に制御回路と電池を格納、
裏面に必要な表示器と操作スイッチを設ければ実現しそうだが‥‥。どなたか挑戦あれ!
1月号 「天文ファン」
隠れと言うか昔はと言おうか、筆者は「天文ファン」でもありました。熱しやすく冷めやすい性分で、中学生時代の切手・ラジオを皮切りに、オーディオ・篆刻・盆栽・カメラ・日曜大工・ドライブ・ゴルフ・ヨット・トミカ・Nゲージと年代を追って熱中する対象がかわり、これと言った自慢も出来ずに今日に至っています。天体観測もその一つでした。こうした中途半端な趣味の残骸は処分できずに戸棚や物置のあちこちに残り、家族の不評をかっています。天体望遠鏡もその一つ。さる12月10日の夜、テレビに月が映し出され、忘れていた皆既月食に気付いた次第。外を見ると半分オレンジ色の月が天頂にくっきり。5・6割の食でしょうか。庭に望遠鏡を持ち出せば写真が撮れそうと、望遠鏡・赤道儀・三脚・アイピースと必要機材を物置から探し出したまでは良かったのですが、何せ30年近く寝ていたせいで、レンズはカビだらけ。使い物になりません。赤道儀は使えそうでしたがセッティングが面倒で断念。やむなくデジカメに望遠レンズで撮影することにしましたが、固定撮影で像はブレるし、寒いし、おまけに仰向けにファインダーをのぞいて首が痛くなるはで、さんざん。結局、皆既時に明るく輝きだしたオリオン座やすばるなどを入れた標準レンズの写真がまともな一枚でした。
月と太陽の見かけの大きさが同じという幸運な惑星は太陽系では地球だけ。銀河系の中でもそうないでしょう。おかげで月食や日食が楽しめます。日食の方がダイナミックで観測価値も高く人気がありますが、皆既日食を見るチャンスは皆既月食と比べて少なく、海外への観測ツアーが組まれたりします。実は皆既月食は皆既日食より起こる頻度は少ないのですが、月が見えさえすれば地球上のどの地点でも観測できます。一方、皆既日食は帯状の狭い地域
に限られてしまうので、一般の人には月食を見る回数の方が多くなるというわけです。
さて、今年2012年は5月21日月曜日に日食が起きます。わが国では朝から全国で部分食が、なかでも九州の南半分から四国・紀伊・東海・関東の広い範囲では金環日食が見られます。東京では食の開始6時19分、最大食7時34分、金環持続時間5分5秒間の天体ショーとなります。好天を願いつつ、
事前の準備をして望むことをお勧めします。