2015年のコラム

   

今月のひと言

当社のコラム担当 「今が好き♪」 氏のコラムです。毎月連載します。

    
2015年 12月号 「捨て目捨て耳」
11月号 「酒好き」
10月号 「卒業50年同期会」
9月号 「リフォーム」
8月号 「草刈り」
7月号 「孫」
6月号 「松前漬け」
5月号 「多満自慢」
4月号 「首里城」
3月号 「テレビ朝日」
2月号 「チェンマイ」
1月号 「日記」
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12月号 「捨て目捨て耳」

 『捨て目捨て耳』をするな。後で役に立つかも知れないから、見たこと聞いたことは覚
えておけと言うわけ。母親の口癖の一つがこれだったが、筆者が覚えている限り母は「捨
て見捨て耳をするな」と言っていた。後年、正しくは捨て目とわかったが、母の出身地福
島では両方使われているのかも知れない。捨て見のほうが韻をふんで意味も十分伝わり、
筆者は捨て見派である。
 いずれにしても、子供のころからことあるごとに聞いていたのに、筆者の場合はどちら
かと言うと注意力や記憶力が散漫で見聞きしたことが残っていない。目の方は、しょっち
ゅうかよっている通りの家やお店が取り壊されて更地になったりすると、もう何が立って
いたか思い出せなかったり、会社現役時代は法人会・商工会などの交流会で名刺交換の際
に「前にもいただいています」と言われ、会社に帰ってみると同じ人の名刺が3枚も出て
きたりで、特に顔覚えの悪さには我ながらあきれてしまう。耳の方は、人間ドッグの聴力
検査で右耳の高音部が聞こえなくなったことが判明したのを別にしても聞き覚え能力は人
並み以下。家人の外出などの予定を何回も聞いたり、娘たちから人や料理の名など、何度
聞いても覚えられなかったり。更に、こちらから質問して聞いたことはまだしも、向こう
から話しかけられて聞いたことはほとんど捨てられて残らない。息子の場合はこうした同
じ質問には「前にも言ったよ」とよく覚えていて、こちらが注意されてしまう。元々無口
で発言そのものが貴重な存在だ。
 
 一方、家人の記憶力は並はずれで、特に人の顔は一度見れば忘れないと言う。このあき
る野・日の出界隈では何かで話をした人はもちろん、買い物をしたお店の店員も医者に行
けば事務員から看護婦まで、服装も場所も違っていても会えばあそこの人と言い当てるか
らすごい。会社の受付やホテルで仕事をすれば重宝される能力だが、本人はかえってわず
らわしいとのこと。聞く力も優秀で、ほぼ一度聴いたら残っていて、筆者方の親類の消息
は脇で聞いていたにも関わらず私より詳しい。こうした能力、日々探し物や質問箱として
活用しているが、逆に言えば筆者の言動はすべて把握されているということ。トイレで手
を洗ったか否か、あるいはうっかり放屁なども言い当てられて、気が抜けない。目と耳の
もう一つのことわざ「壁に耳あり障子に目あり」も実感している。
 


11月号 「酒好き」

 『酒好き』です。酒はたしなむ程度と言いたいのですが、飲んで失敗の数々を思えば、
酒好きを認めざるを得ません。帰りに電車でついつい寝てしまい、降りる駅を通過して気
が付いたら逆方向、慌てて乗り換えると言ったことがまま。終電に間に合っても、結局1・
2時間よけいに掛かって帰宅です。もちろん、家で大目玉をくらい、言い訳やら謝罪で大
汗です。
 
 恥かきついでに、最悪の失敗を白状します。もう20年も前のことですが、毎年10月
に受けている人間ドッグのレントゲン写真で左の肋骨2本の骨折痕が判明。いつどこで折
ったのか判らないと答えると、前年の胸部写真では何ともないとのこと。この一年で骨折
し、すでに完治しているようです。医者は「2本も折れたのに気が付かないなんてあるの
かね~」とあきれ顔。家に帰って話すと、長女が「お正月に事故を起こしたでしょう。あ
れよ~」。で‥‥、思い出しました。
 取引先との新年会で飲んだ夜、車で帰宅途中に交差点かどの電柱に衝突したのです。
当時は酒酔い運転の量刑や取り締まりが緩く、飲んでも運転して帰る人が結構いました。
一瞬の居眠りです。気が付くと電柱に抱き着いて正面衝突、前部がへこみボンネットはく
の字に曲がって眠気も酔い気も失せ、ケータイで即110番通報。警察での調べが終わっ
た深夜、家人にもらい下げに来てもらいました。ディーラーでの修理代は150万円。エ
アバッが膨らまなかった言い訳は「V字にへこんで衝撃が弱かったせいでしょう。お怪我
はありませんか?」。「胸を打ったせいで少し痛む程度です」と当方。3月末にはもうゴル
フをしていました。骨折と分かれば、肋骨が折れる衝撃でも動作しないエアバックを問題
にしたはず。一方、医者通いとコルセットで当分安静、周囲に言い訳も必要で、知らぬが
仏でよかったのかも知れません。肋骨が折れても何の支障もないのです。

 さすがに飲酒運転はしなくなりましたが、替わって電車で居眠りです。終電で終点まで
乗り越しタクシー帰宅とか、バスが無くなり駅まで迎えに来てもらったり。しびれを切ら
した家人から、こうしただらしない飲み方をしたら罰金10万円を宣告され、昨年度実績1
回。今では罰金の話をきいた仲間に、早めの帰宅を促されたり、立って帰ったりで罰金を
免れていますが、これから酒の旨い季節となり忘年会も近づいて、思いは逆ながら家人と
もども悩みは尽きません。
 


10月号 「卒業50年同期会」

 先月半ばに『卒業50年同期会』が開催され旧交を温めました。筆者は昭和36年電気通
信大学の入学、在学中は写真部・英会話部で放課後を過ごし、家では近くの子供の家庭教
師やそろばん塾のバイトもあって結構多忙な学生時代でした。そうこうしているうちに4
学年、電子工学科の専攻で量子力学の単位を落としましたが、猛勉強の末追試でなんとか
クリア。留年なしに無事昭和40年の卒業です。同窓では2名が留年居残り、逆に留年して
同級生となった先輩3名は同時卒業、できたての大学院進学者が2名で我が科の卒業生は
総勢49名でした。そのうち3名は各タイ・ベトナム・パキスタンからの留学生。全学では
6学科300名がこの年に卒業しました。当時の学生数は全学で1200名ほど、現在は学部院
で5000名超とのことです。
 
 さて、今年は元号換算で昭和90年。ちょうど卒業から50年と言うことで同期会が企画
され、卒業生60余名が参加しました。来賓は当時の化学の先生、講師だった元学長と現在
の学長、卒業生同窓会会長など。学内見学ツアーと後輩卒業生公立はこだて未来大学女流
教授の記念講演のあと立食。あれからどうした・今は何を?・だれだれはどうしいるなど
など、昔話とともに大いに盛り上がりました。現役・浪人入学・留年生を交えて同期年齢
層は72歳から76歳。物故会員は各クラス数名・留学生を含め消息不明者も多く、住所や
メールアドレスが判明して開催通知を出せたのは9割。欠席理由の半数は体調・健康がら
み。結局集まったのは、いまだ現役で活躍している者、ボランティや地域活動にたずさわ
っている者、そこそこ健康で自適生活をしているものたちでした。手締め後はクラスごと
に調布駅周辺の居酒屋で飲み直して学生時代にタイムスリップ。一同、昔に比べて我がこ
とながら年寄りの元気さに感心、再会を期して散会した次第。
 
 この年代と多少ずれますが、平成24年の人口統計では昭和17~13年生まれの70~74歳
人口は736.4万人。当時の出生数を年平均210万人(平成26年は100.4万人)として5年
間で1050万人が誕生しましたが、統計時点では生存率は70%、すでに30%の315万人が
他界していることになります。一方平成25年統計での平均余命は70歳男子15.28年、75
歳11.74年とありますからまだ10年は大丈夫そうです。卒業60年同期会もいけるかもし
れません。


9月号 「リフォーム」

  キッチンと居間を『リフォーム』しました。転居して2年半ですが、台所の使い勝手が
いまひとつで、今まで使っていた家人の母には申し訳ありませんが改築することに。元々
この家は、道路拡張で敷地が削られたのを機に、戦前からの母屋を建て替えたもので、今
年で築22年です。余談ですが、道路に供された土地は歩道となって電柱が一本立ってい
ます。登記上この歩道の所有者は相続した家人となっていて、東電は電柱1本につき年間
賃料1500円を3年ごとに振り込んできます。
 
 さて、リフォーム。両親は元気なうちに外壁と屋根の塗り直しを済ませていました。今
も住いの外観は新品同様です。おそらく内装の壁や天井なども改装予定だったと思われま
すが果たせず相次いで亡くなり、我々夫婦に課題が回ってきました。
 家屋は2階建て75坪です。とても全面対応はできません。最優先のキッチンの改装と
居間との間にある食器戸棚の新調から行うことにしました。システムキッチンはパナソニ
ック(汐留)とリクシル(西新宿)のショールームに出向いて、拡張性や素材の豊富さか
らリクシルを採用することに。当然、家人の希望仕様となりました。白基調・セラミック
製天板の寸法制限から横幅3m・3口コンロの下に電子レンジとオーブン兼用のコンベッ
ク装備など機能面では大幅改善。レンジフードのデザインや自動制御も最新化です。車や
家電製品もそうですが買い替えると、便利さや機能の進歩に驚きます。食器戸棚は奥行6
0cmで両面アクセス、横半分はカウンターとして居間キッチン間の見通しを改善。流し
台前の出窓の開口部を広げて裏庭の見晴もよくしました。結局、キッチン部分にとどまら
ず、続きの居間・コーナーに設けた和室・玄関ホール・上下階廊下の壁天井クロスも張替
えて、工事お祓いから20日間でリフォーム完了、8月31日に引き渡しを受けました。
 
 これから2階に避難した台所用品と食器の移動などの作業です。なるべくむき出しで並
べず、キッチンの美観を保つために調味料・菜箸やお玉類・布巾などを収納しなければな
らず、便利さよりみてくれ重視の整理整頓となりそうです。いっそ、外食や惣菜購入で見
せるキッチンにしたい気持ちがわかります。そのほか、居間に合わせるため、テーブルや
書棚・テレビ台なども要新調のようで、出費がかさみそうですが、取りあえず、投資に見
合ったうまい料理を期待しています。


8月号 「草刈り」

  『草刈り』で大汗です。お陰で2・3キロ体重が減り、血圧も下がって悪いことばかり
ではありませんが。梅雨明けから8月初めのころは、雑草の成長が早く、朝は日が高くな
る前か夕方には決まって近所から刈払機のエンジン音が聞こえます。日の出町に転居しま
したが広い庭と農地の除草が悩みの種。農地は自家用に80坪ほど残した以外はすべて貸
しています。基本的には賃料は取りませんが、プロの農家と企業や役場に貸し出している
ものは税金の足しに有料です。と言っても農地一反分(300坪)の固定資産税は年額1
500円ほどでわずかな賃料にしかなりません。草刈をシルバー人材センターに依頼して
も一反分で2~3万円はかかりますから、明らかにただで貸して耕作してもらえば草刈費
用不要で、双方両得と言うわけ。
 
 ところが最近、農地が返還されて難儀をしています。借り手が高齢になったり、片方が
亡くなったりして畑を維持できなくなってしまうのです。若い世代の畑への関心が低くな
ったのか、代わりの借り手が見つかりません。役場には無料で貸す農地の用意があると届
け出ていますが、同様の土地がすでにあっていつ借り手がつくか分かりません。こうして
返却された農地の除草が地主に義務付けられます。ほおっておくと町の農業委員会から草
ぼうぼうの証拠写真と住所を記した資料が送られてきます。除草して、「大切な農地保全の
見地より農地利用の改善を早期に対応していただきますようよろしくお願いいたします。」
と言うわけ。
 
 夏の盛りに人材センターでも草刈りなど野外作業は受け手も少なく、業者に頼むと坪5
00円とか、やむなく筆者の出番となります。ヘルメットにフェースガード、長そで長ズ
ボンに長靴で、刈払機を抱えて草刈です。腰を振ってゴルフの練習にはなりますが・・・。
草の背丈で多少しますが30~40坪の刈り取りに1時間、休みも取れば100坪が午前
中の仕事になってしまいます。この畑はすでに4月に刈り取り済みで今年2回目、雑草の
種ができる前の10~11月にもう一度やる必要があります。住居敷地内の畑や庭の草取
りは家人の役割でこちらも朝晩1時間ほどかがんで草取り。
 誰か野菜を作りたい人~っ。無料で畑を貸します! 


7月号 「孫」

  『孫』がいません。同輩友人には結婚や大学卒業を控えた孫もいるほどで、とっくに古
希を過ぎ、平均的な家族構成では一人二人孫がいておかしくない年齢になりましたが、筆
者の場合は予定なしです。子供は一男3女と恵まれ、今頃はさぞかし大勢の孫に囲まれて
いるはずでしたが、当てが外れました。総領娘は40歳、以下次女3女と続き、ばっち子(末
っ子)の長男が30歳です。上二人は所帯もち、下二人は目下独身。子供の顔を見るたびに
結婚や孫の催促で、家人からは余計な口出しをして、子供たちにプレッシャーを与えるな、
とたしなめられています。長女からは「お父さん。孫がいない悩みと、子供がいない悩み
とどちらが大きいと思うの?」と言われ、二の句が継げなくなりました。
 
 学校・仕事・町内など地域や社会の同世代コミュニティとの付き合いでの話題も、孫な
しが混じると孫の話は長続きしません。孫もちが遠慮してしまうのでしょう。孫どころか、
友人や親類には結婚後子供ができずに二人暮らしのままといった夫婦も多く、こうした人
たちの前では子供の話も出しづらくなります。更に、60・70歳を迎えても未婚という男女
もいて、家庭の話題は共通項になりえません。余計なお世話ながら、一度は夫婦生活を経
験したかったのではないかと思ったりします。係累の多さが人生の幸不幸をきめる尺度で
はありませんが、結婚して子供、孫をもち、長寿であればひ孫までといった人生がなんと
なくめでたいと言った風潮が根強く残っているせいでしょう。
 とは言っても、人生いろいろ、ひとそれぞれ。独身・夫婦二人・子持ち・孫もちがそれ
ぞれの利点と自慢、他方の欠点と問題などを言い合えば両方とも際限なく出てきて、結局
一長一短、これが一番と言った結論はあるはずがありません。実際、今日ここに至って伴
侶や子、孫の有無が選択不可能である以上、現在の環境を認めながら来し方行く末を受け
入れるしかありません。
 
 結婚は縁もの・子供は授かりものといいます。それにしても、結婚式に出席することは
諦めたにしても、孫と話をしてみたいとは思っています。子なしの皆さんごめんなさい。
子供のみなさん、さずかりものをよろしくお願いいたします。


6月号 「松前漬け」

 ここ数年、晩酌のつまみは自家製の『松前漬け』が定番です。名前が示すように北海道
は松前藩の郷土料理で、本来は豊富に獲れた数の子とするめいか、それに昆布が主要材料
でした。後年、数の子が高価になるにつれ、これに代わって人参が使われるようになった
ようですが、現在では色々な具材が使われています。筆者の場合、しいたけや干し大根を
加えてみましたが今ひとつ。好みにもよりますが、具材が増えると全体的にぼやけた味と
なってしまい、するめ・昆布・人参の3種だけで漬けています。

 するめは最初のころ、げそとみみの部分はどけて本体部2枚を使いましたが、見栄えを
別にすればこれらの味も本体と変わらず、現在は1回の仕込みで1枚を余さず使っていま
す。昆布は薄手の早煮昆布30cmほどのものを3枚、さっと水にくぐしてパリパリの乾燥
状態を柔らかくします。キッチンバサミで両方とも幅3mm、長さ5cmほどに切り、人参
は中ぐらいのものを2本ほど、3mm角で同じ長さに千切りです。これで下ごしらえは終了。
味付けはめんつゆ100ccに白だし・みりん・清酒各等量を加えて200ccにして蓋付のボ
ールに漬け込みます。これで全量750gほど。ゆずの皮を小さくむいて加えると風味が増し
ます。天地返しで混ぜ、24時間ほど置けば賞味可能です。浅漬けの内は人参がぱりぱりし
て歯ざわりを楽しめ、するめ・昆布は漬かるにしたがって柔らかくなり、味がしみてきま
す。材料にこだわりはありませんが味付けは色々試して落ち着きました。みりんは千葉県
佐原産の「最上白味醂」がお気に入りです。火を使わない簡単な料理で常備お惣菜と言っ
たところ。レシピの分量や具材の大きさなどは目安ですのでおためしの場合は自分好みに
調整ください。
 
 自家製と言えば、今年は裏庭の小梅が豊作で白梅の樹1本から8.5kgを収穫しました。
5月半ばに家人が7kgと同量の砂糖で梅シロップを仕込み、こちらは残りの小梅を梅酒に
しました。シロップは1か月ほどで出来上がり、ジュースやジュレなどにしますが、梅酒
の方は一年以上かかります。これから夏場に向かい、梅酒を待ってはいられません。シロ
ップを分けてもらい、松前漬けをつまみにジンやウオッカのカクテルで一杯を狙っていま
す。


5月号 「多満自慢」

 『多満自慢』で知られる藏元、福生市の石川酒造を見学した。西多摩地域の交流サイト
を運営する「街プレ倶楽部」のイベントに家人と参加したもの。西多摩の自然と歴史を巡
る旅の一環で、今回は旧三井拝島別邸と藏元見学会とあって、昭島市と福生市を徒歩で巡
る旅。実施が今月1日。当日朝、青梅線拝島駅に集合し、参加費各2,500円を払ってエン
トリー。このツアーガイドがなんと、現役時代にT社青梅工場でお世話になったNさんだ
ったのにはびっくり。定年後のボランティアとのこと。

 一同32名で最初の見学地「拝島大師」へバスで移動。大師の寺社もさることながら、西
多摩を代表する「拝島のフジ」が晴天下、満開状態の僥倖だった。大師からは、かつての
拝島宿を拝島分水に沿って歩き、龍津寺(りゅうしんじ)裏の湧水群をみて旧三井別邸へ。
この別邸、元々は永田町にあった明治期の鍋島侯爵邸を三井家別荘として昭和2年に拝島
のこの地に移築した木造2階建てで、和洋折衷の広大な邸宅だ。現在は幼稚園から高校ま
での一貫教育校「啓明学園」の「北泉寮」として公開保存されている。築120年を超え維
持修理が大変らしい。啓明学園から多摩川えん堤へ。昭和用水堰・水神が祭られた取水口
跡などを見て、福生南公園せせらぎ遊歩道を逍遥しがてらお目当ての石川酒造着。

 さて、福生の酒蔵。こちらも本蔵をはじめ多くが明治期の建築で国の有形文化財。江戸
時代の幕府直轄領熊川村の名主石川家の創業。商標「多満自慢」は多摩でなく、多くがみ
つると言う願いを込めた由。当主は代々創業の石川彌八郎に改名、現在は18代目。醸造タ
ンクが並ぶひんやりした本蔵で酒造の歴史と醸造の講義を受けてから、お待ちかねの試飲
は吟醸酒・純米生原酒・梅酒と多彩、どれもいけた。その後、敷地内を流れる熊川分水・
樹齢700年市内最大のケヤキご神木・築250年の長屋門などを見学。圧巻は明治20年に「日
本麦酒」の商標で売り出した当時のビール釜の展示。ビールは短期間で撤退したが、直径2
mを超す鉄の大釜は戦時中の供出を免れて残ったらしい。近年、地ビール「多摩の恵」で
ビール事業も再開している。見学後、付属の和食レストラン「雑蔵」で地ビールとそばラ
ンチで昼食。食後に自由解散となり、お土産に多摩自慢銘のお猪口にとっくり、試飲した
生原酒を買って帰宅した次第。

 福生市には他に「嘉泉」の田村酒造、あきる野市には「喜正」の野崎酒造と「千代鶴」
の中村酒造、青梅市に「澤乃井」の小澤酒造があって、東京を代表する銘酒藏元が西多摩
に集中している。いずれも多摩山系の地下150m以上の水による仕込み。酒蔵に限らず、こ
うした歴史と自然に触れる歩き旅が身近でできることも収穫だった。


4月号 「首里城」

 『首里城』を見てきました。沖縄は2回目。前回は7年前の会社創立30周年記念旅行で
した。恩納村と那覇の観光ホテルへ2泊、美ら海水族館・おきなわワールド・やんばる亜
熱帯園など定番観光地を巡り、那覇では首里城と国際通りにも寄りました。そして、今回
は東芝仲間8名で2泊のゴルフツアー。3月23日出発で空路はスカイマーク、ビジネスホ
テル泊といずれも前回よりグレードが落ちますが、全行程レンタカーの移動自由です。
 ゴルフは24日恩納村の沖縄国際GC、25日が糸満市のザ・サザンリンクスGC。どちら
も海岸コースです。沖縄国際は周辺のホテルやレジャー施設越しに遠くエメラルドグリー
ンとマリンブルーの海岸線が望めて気分爽快、サザンリンクスは海越えの名物ホールがあ
り、平和祈念公園の白い塔が見え隠れするコースでした。那覇空港へ着陸する直前に右舷
窓から見えた白い塔がこの塔でした。
 わざわざ沖縄に行って、ロクに観光もせず、どこでもできるゴルフをするのは気が知れ
ないとの非難も聞きますが、観光二の次で気の置けない仲間と楽しめるスポーツはそうな
いでしょう。スコアは書き残すほどのことはありませんが、強い海風にあおられて、2ラウ
ンドでボールを8個なくしたことを報告しておきます。
 
 さて、首里城。25日ゴルフは早朝スタートのスルーラウンドで昼には終了。午後を世界
遺産首里城観光にあてました。城近くの首里社館に駐車し、この会館のレストランで沖縄
そばとビールで昼食。ここでも中国語が頻繁に聞こえます。守礼門からいくつかの門を通
って正殿などのある御庭に。入場料820円に一同、「こんなにしたっけ?」。南殿から城内
に入って納得。前回にはなかった琉球王朝の工芸品・衣装などが改装された書院や御殿間、
詰所などに展示されて玉座のある正殿まで続きます。首里城は残る東側の復元も計画中で
寄付金募集中、完成にはまだ数年かかりそうです。国際通りは24日夜、沖縄料理と泡盛で
会食後に探索。更に首里城から空港までの帰路でも見物がてら通過しました。渋滞は相変
わらずでしたが通りが以前よりすっきりして雑然とした感じがしません。夜間にはわかり
ませんでしたが、通りの電柱が撤去され地下側溝化されたせいでした。
 遅い便の羽田行きで、空港では首里城復元の寄付替わりに、お土産の買い物や夕食兼反
省会で散財して帰りました。


3月号 「テレビ朝日」

 『テレビ朝日』で拙宅のどんぐり工房が紹介されました。事の起こりは青梅市にあるホ
ームセンターで木材を物色していた時です。腕に腕章、片手にビデオカメラを持ったハン
チング帽の男性が話し掛けてきました。聞けばテレビ取材中で、差し出された名刺を見る
と、テレビ朝日のディレクター。「ワイド・スクランブル」でこの「カインズホーム」を特
集すると言います。番組名を聞いてもこちらはン? 昼の「徹子の部屋」を挟んで放送し
ているらしい。取材に応じて、これで飾り棚を作ると答えると、作るところも取材したい
とのこと。こうして工房が紹介されることになりました。
 お店での取材は1月10日でしたが、工房は一日置いた12日で、当日は今日と同じ上着
を着てくださいとの指示。お店と工房紹介が同じ日の設定です。番組のレポータとしてTKO
の木本さんが同行しますのでよろしくと言われて別れましたが、木本さんもン? 家人に
話すと、番組は同局平日昼の看板番組、TKOは関西の二人組お笑いタレントで、木本さんは
NHK朝ドラ「ごちそうさん」の課長役で出ていたでしょうと、さすが~。

 さて、当日夕刻、大きなワンボックスカーで取材班が到着。なんと総勢6名。例のディ
レクターと助手のAD・木本さんにそのマネージャー・音声係にカメラマン兼運転手です。
お互いの紹介後、母屋周辺の撮影もそこそこに、一同さっそく工房へ。「奥様もおねがいし
ます。」と言われて家人も合間にお茶を出すといった場面で登場。飾り棚の工作ではトリマ
ー、糸鋸盤など電動工具を使っての部材加工を収録、木本さんにも手伝ってもらいました。
その後家人を交え3人で歓談、これで我々の出番は終わり。あとは工房内やカインズホー
ムで購入した工具類を撮影して終了となりました。この間約3時間。これを3分ほどに編
集して次週19日月曜日の放送です。取材2日後に出来上がった飾り棚と以前に作ったカッ
プボードの写真をメールで送り、これらも放映されました。
 社長時代は、謝罪会見でもいいからテレビに出てみたい、などと言って社員からひんし
ゅくを買いましたが、これで念願成就。実は放送当日はチェンマイ滞在中で帰ってからビ
デオで見ました。昼番組のせいか私より家人の知り合いから多くの反響があったようです。
 放送後番組から収録したDVDと粗品ぐらい送られてきてもよさそうですが、その後なし
のつぶて。どうしたのでしょう、TV朝日さん!。

 (工房はコラム2014年1月号、チェンマイは前月号を参照ください。)


2月号 「チェンマイ」

 タイの『チェンマイ』でCTG(コンピューターテクニックグループ)の新年会がありました。タイは15
年前にバンコクに行ったきりで、この時は観光とゴルフが目的。今回はチェンマイ滞在歴
が長い、「ものつくり大学」の元建築学教授岩下氏のセッティングで旧交を温めようという
趣向です。夫婦で毎年冬3ヵ月、夏2ヵ月をこの地で過ごしているチェンマイ通で、定宿
は市中心部の北2㎞ほどに建つ瀟洒な8階108室のホテルです。と言っても7・8階はキッ
チン付のコンドミニアムで長期滞在仕様、日本人に人気とかで利用者の大方が日本人でし
た。1カ月の賃料が75,000円程度、食材・食費も日本の数分の1で済み、避暑・避寒のみな
らず定住者も多いとのこと。タイやマレーシアに退職後永住するという話をよく聞きます
が、いずれも日本より安上がりに生活できるようで、チェンマイには4,000人ほどの日本
人が滞在していると聞きました。

 さて、このホテルがメンバーの宿となり、1月16日夕刻に日本各地からメンバーが集合、
3夫婦を含んで総勢11名。翌日、定番の象園・蘭園訪問、夜はタイ舞踊を見ながらの北部
タイの伝統料理カントークで新年会。以降、ドイステープをはじめ有名寺院・旧市街・傘
の特産地ボーサン・タイシルク機織り・古民家園・ショッピング街などを観光し、タイ料
理も堪能しましたが、見学先の収穫がひとつありました。。

 国の主要大学チェンマイラジャパット大学の地域エネルギー技術開発研究所(adiCET)
訪問です。市内の本校から北へ25Km、敷地200エーカー(24万坪)に大学が立ち上げた「チェンマ
イ・ワールド・グリーンシティ」内にあり、緑とエコライフにスマート技術や再生可能エネルギーを
適用したコミュニティモデルを実験・開発する先端研究所。太陽光発電した電力を直流で
施設内に給電するという発想。照明は当然LED、TVや冷蔵庫などもAC/DC変換器を取外し
て交流不要のDC24V駆動。筆者が提案する照明専用直流電源を家庭内に設備する案より一
歩先を行く実験と言えそうです。他に有機農場・バイオガス燃料・オーガニック製品開発
など若い研究者たちが熱心に取り組む姿が印象的でした。エネルギー危機・地球温暖化な
どに対応するチェンマイ発の技術が奏功するよう願いながら20日に帰国しました。。

 adiCET:Asian Development Institute for Community Energy and Technology
 直流給電はコラム2014年9月号、CTG新年会はコラム2014年2月号参照。


1月号 「日記」

 どちらかと言うと、筆不精で三日坊主ですが、『日記』は毎日欠かさず続けています。
書き出しは昭和61年の元旦から。と言っても一行日記。日記帳も暮れになると取引先から
会社に送られてくるビジネスノートを代用。カレンダーや月間予定表、度量衡一覧表などの
ついたB5版、1センチほどの厚さのものですが、紙幅の大部分は横罫線のノート形式で、
1頁が31から36行、ここに一か月分が書き込めます。1年12頁で足りてしまいますから
最初の一冊は10年分が記録され、更に年末にはその年の我が家の10大ニュースがまとめ
られています。一行ですからその日の出来事のメモ書き程度ですが、外出先・来客・子供
の学校行事・飲み会・冠婚葬祭・買い物など日常生活や時として海外旅行などの非日常生
活が細かい字で書き込まれ、今読み返すと若かりし当時のことが思い浮かんで、ページめ
くりが止まらなくなります。
 さすがに10年一冊だとノートも手あかにまみれ、書くほうも飽きてしまって、2冊目か
らは1日1行のこだわりを捨てて、特別なことがあれば数行を使うようになりました。2冊
目は8年間・3冊目が6年間、現在が4冊目でちょうど平成26年で終了、こちらは5年間
で一冊でした。だんだん記入量が増えて行き、読み返しや昔あった出来事の日付さがしに
時間がかかるようになってしまい、改めて厳選された出来事を簡潔に記録した1行日記の
便利さを実感した次第、次からはルールを再考しようと思います。。

 日記のつけ方も使用する日記帳も十人十色。年の変わり目は様々な日記帳が店頭に並び
ます。自由記入をはじめ、1年用から10年用、鍵付き、家計簿付き、革表紙ものなど、値
段やサイズ・厚さもさまざま、考えられる限りの体裁で売られています。自分の目的や趣
向に会った一冊を求めることができそうですが、かえってあまりの種類の多さに迷うかも
しれません。筆者のようにお金をかけずにもらい物で代用というのは少数派と思いますが、
形式はともかくこれから始めようという人にはお勧めです。日記と言えば三日坊主が連想
語、とにかく一年間書き続けることが最優先です。この一年、日記にどんなことが書かれ
るのか終わってみなければ判りません。毎晩、寝る前の血圧測定と日記付けが定番のこの
頃です。

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