今月のひと言
当社のコラム担当 「今が好き♪」 氏のコラムです。
2019年 | 12月号 「秩父」 |
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11月号 「トラベラーズチェック」 | |
10月号 「睡眠時無呼吸症候群」 | |
9月号 「町議会議員選挙」 | |
8月号 「ビュッフェランチ」 | |
7月号 「ガバちゃん」 | |
6月号 「大岳鍾乳洞」 | |
5月号 「人力車」 | |
4月号 「歯科治療」 | |
3月号 「競馬」 | |
2月号 「東海林太郎」 | |
1月号 「新元号」 | |
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12月号 「秩父」
手ごろなぶらりドライブの行き先の一つに『秩父』があります。ここ日の出町から青梅市を縦断し埼玉県飯能市に入って、入間川沿いの道を上流に向かうと川は名栗川と呼ばれるようになり、そろそろ川に飽きたあたりで県道は北に向かうつづら折りの山道となって山伏峠を越え、正丸トンネルの西端で国道299号に合流します。この間自宅から40kmですが信号は少なく、渋滞知らずの田舎道が大半。299号はここから道の駅「あしがくぼ」までひたすら下り坂で燃費が節約できます。 この日は夫婦ドライブで、ここで名物「ずりあげうどん」の昼食ののち芝桜公園元祖の「羊山公園」の入り口を過ぎ市街地へ。「秩父神社」・夜祭の山車が見られる「まつり会館」の前を過ぎると秩父市観光拠点の「JR秩父駅」に到着、さらに10kmの行程です。駅舎併設の「地場産センター」でこの地のお土産・名産品・農産物のほぼすべてがそろいます。余談ですがこのお店で当社の社員旅行を担当している観光会社の社長にバッタリ。見れば駐車場に大きな観光バスが停まっていて、添乗員として三鷹のお客さんを案内中だったとのこと。この駅の利点は駅前の無料駐車場が必ず1台分は空いていてゆっくり買い物が出来ること。「豚肉味噌漬け」が日持ちもして結構うまく気に入っています。駅から歩いて数分のところに「武甲正宗」の酒蔵がありますが今回は割愛しました。 実は前の晩の10月29日にNHK BSプレミアムの「イッピン」と言う番組で「秩父銘仙」が紹介され、行ってみようとなった訳。市街の大通りを一本はずれた狭い路地に「ちちぶ銘仙館」が木造の工場と言った趣でたたずみ、駐車場には車がちらほら。入館料は大人210円。昨晩の「イッピン」を見たというと受付嬢は喜んで、ここが売店・奥が着物の展示室などと説明してくれたが、入館者は10人といなかった様子でTV効果はまだのようです。銘仙の型紙、縦糸染色過程、手織り・機械織り機の展示・実演など内部は意外と広く、見応えもあって勉強になりました。 他に台風19号の被害で休園になった「ちちぶミューズパーク」隣にある酒づくりの森「秩父錦」蔵元、新装なった「西武秩父駅」と併設の温泉「祭りの湯」、お土産やの仲見世通りを見て帰路。帰りは299号一本道で飯能駅へ、その後青梅市の岩蔵温泉を通り抜けて日の出町現着。全走行125kmの半日で見て回れるおすすめ観光地でした。
11月号 「トラベラーズチェック」
この4月のこと。昔の『トラベラーズチェック』が旅行時のパンフレットと共に出てきた。と言っても筆者ではなく家人が購入したもの。フランス通貨表示で額面200フランの未使用券が11枚残っていた。購入したのは当時の三菱銀行立川支店で1995年、発行はアメリカン・エクスプレス。この年の暮れ彼女は筆者の姉夫婦とその子供たちなど総勢6人で8日間のパリ旅行をしたのだが、安全のためトラベラーズチェック(T/C)も用意したもの。余談だが姉の夫君はソルボンヌ大学に留学経験がありフランス語に堪能。ツアーでの旅行だったが現地の観光はすべて彼の案内であった。また、この年のクリスマス前後は幸か不幸かパリ地下鉄がスト中だったにもかかわらず、地下鉄そのものは運行され、乗り放題だったと聞いた。
さて、余ったT/C。たしかT/Cは無期限有効で永久に使えるはずとは思ったが、24年前の発行で、すでにフランスフランはユーロに移行し、とっくに使われていない。調べてみると、EU圏内ではドイツ、スペインなど今でも旧通貨をユーロに交換できる国と、できない国があり、フランスフランは交換不能な通貨となっていた。これでは余った2200フランを使うことはできず、円に交換することは更に無理な状況だ。それでもだめ元と、購入先の三菱UFJ銀行の外為担当に電話すると、すでに国内ではT/Cの発行は終了していて、換金などの問い合わせはアメリカン・エキスプレスに直接頼んでくれとの返事。聞いた番号に電話し事情を話して、換金したい旨を告げるとしばし回線が替わって国外とおぼしきデータセンターへ繋がった様子。係の女性に手元にあったT/Cの10桁の英数番号を告げると11枚すべてが未使用であることが確認されたようで、円への換金が可能と望外の返事。さすが~、世界のアメックス! 送金するから銀行と口座番号を知らせろとのこと。こうしてほどなく、無事に円換算で41,434円が最寄りのりそな銀行に振り込まれ、一件落着した次第。
当のT/Cはそっくり手元に残っているが、フランとして使えない以上、ただの記念品で、しおりにでもしようかと思っている。クレジットカードや電子マネーの普及によりT/Cの出番はなくなってしまったが、まだ持っている人は早めの換金がよさそうだ。
あっ! 家人からは筆者の働きに対して2万円の報奨金が支払われたことを報告しておく。
10月号 「睡眠時無呼吸症候群」
また病院通いの話ですが、今度は『睡眠時無呼吸症候群』です。元々、飲酒の失敗は多い方ですが、そうでなくとも大いびきで、翌朝は家人に「ごめんなさい」が相場です。挙句に時々いびきが止まり、しばらくしてまた再開、気になってますます眠れないと言われます。いびきは飲酒量に比例し、体をゆすると止まるようですがそれより無呼吸が心配と言われて、主治医に相談することに。日中の眠気や倦怠感がなければたいしたことはなさそうですが、一応検査をすることになりました。
就寝時に検査器具を装着して朝まで呼吸の有無と血中酸素を記録するもので、看護婦の説明によると、装置は医療器会社から宅配されるので、説明書に従って装着し、翌朝送り返せば、測定結果が解析されて病院に届けられるという仕組みです。測定時はいびきをかく必要があると思い、寝る前にどれくらい飲めばいいかを尋ねると看護婦は大笑い。無呼吸がいびきでわかるだけで、いびきの有無にかかわらず毎晩起きているとのこと。アルコールは不要でした。
さて、検査機器。腕に付ける記録装置本体とそこから延びたカニューレと呼ばれるチューブを両鼻腔にいれて気流を測定するものと、指先に装着して動脈の酸素飽和度を測定するクリップで構成されています。普段と違い寝つきが悪かったものの8時間の記録がとれ、1週間ほどして解析結果がでました。
軽度の無呼吸で治療の必要はないとの結論。それでも一時間当たり平均19回の呼吸停止、最長53秒間の停止があったと聞きビックリ。普通に息を止めても1分間は苦しいはずで、隣で呼吸再開を待っていれば心配になるのも道理です。酸素飽和度は要注意濃度の90%以下を記録したのが3回ほど、いびきは毎時平均25回も記録されて、アルコールがなくとも寝息より大きな音が出ていることになります。10秒以上の呼吸停止が30回以上あり、起床時の頭痛・日中の眠気・倦怠感など実害が続くと要注意。マウスピースや、気道を開く器具での治療が必要となります。
不意に起こる眠気による交通事故、大事な会議での居眠り、労災事故の発生などが社会問題となっており、わが国では筆者程度の潜在患者は数百万人、治療が必要な事故予備軍は30万人と言われています。どんな病気もそうですが、早期発見・早期治療、無呼吸症で
は、睡眠の質を高めることが大切と言うことでしょうか。
9月号 「町議会議員選挙」
我が町、西多摩郡日の出町の『町議会議員選挙』が8月25日に実施された。町には28の自治会があり、数自治会ごとに7つの投票所が設けられ、即日開票されて、定数14人の議員が確定した。町の総人口16,731人に対し有権者数13,876人、投票者数7,400人で投票率は過去最低の53.77%であった。
拙宅の周辺では近所の自治会役員が4月ごろから立候補を表明し、こちらも応援するつもりでいたところ、5月になって家人のいとこも立候補を表明。こうなっては議論の余地なし、今回は近くの他人より遠くの親戚優先である。先の立候補者には得票が2票減ってしまうことを謝った次第。最もこの2人は同じ中学の1年違い、どちらも新人立候補者で旧知の中。「どうぞ、先輩を応援してください」と屈託がない。
事前の予想では立候補者は現12・新2名で無投票との観測もあったが20日の公示日にもう1人が立候補を届け出て、選挙戦スタート。実は選挙戦初日から候補者間では15人目の男性は町民ではないとの情報があったようだ。筆者は無投票を避けるために有志がやむなく立候補したものと思っていたが、投票終了後、町の選管は青梅市在住であったとしてこの候補者の得票33票を無効とした。選管の立候補基準には選挙権や被選挙権の条件である3カ月以上の居住や年齢制限などの規定がなく暗黙知扱いであったことや、住民票の添付を求めずに候補者の自己申告で届出書が提出できることから、記載事項の真偽を調査する時間もなく公示日に即受理されてしまったというのが真相。
無資格立候補者のお陰で選挙戦が実施され、こうした事情で投票率が低かったものの議員達に一定の序列を与えたこと、また万全の準備をして臨んだ候補者や運動員にやりがいを与え、選挙民には候補者の選択をせまったことなど、無投票を免れたことは結果として無駄ではなかったと思う。
近ごろ、地方議員選挙では立候補者の定数割れや無投票選挙などが目立つようになり、同時に上のような無資格立候補も相次いでいるという。立候補者の審査を適正にすることも必要だが、議員待遇や議員としての充実感・達成感の向上などを図り、地方行政を魅力あるものにできれば選挙も町政もより活性化できそうだが。
8月号 「ビュッフェランチ」
新宿ヒルトン東京で『ビュッフェランチ』をしました。楽しみましたと言いたいところですが…。大学同窓の4人で「四士の会」と名付け、毎年数回ゴルフ・飲み会で集まり、この10年余り、飲み会は奥様方も参加です。年を追うごとに夜は帰りや翌日を懸念して、今では昼食会が主流です。今回は割烹やイタリアン・そば懐石などとは一味違ったビュッフェを試すことになり、集まりやすい新宿のホテルとなりました。
運よく梅雨の晴れ間で好天に恵まれましたが、ホテルに着いて思惑外れ。てっきり上階の見晴らしのいいところと思いきや、1階ロビー脇のラウンジがレストランでした。内装や中央のらせん階段などは趣があって、クルーズ船もどきでしたが、眺めはこれきり、それと食べ物を求める人々。3夫婦と単独参加の総勢7人。着席してまずはビールで乾杯が
定番ですが、ここで一同あんぐり。グラスビール(300ml)一杯が1,300円とあります。
不覚にもこれほど値の張るビールは初めてです。周りのテーブルにはワインやビールもちらほら、ここでひるむわけにはいきません。7人分のビールを注文しましたが、ウエイトレスに聞くとキリン・アサヒ・サントリーから選べとのこと。筆者お気に入りのサッポロが無く、ラーメン屋以下の品ぞろえ。スタートからつまずき、料理は押して知るべし。ローストビーフがなぜメインなのか知りませんが今一つ。ムール貝は冷製で、ブリュッセルで食
べた香菜煮と雲泥の差。どの料理もまた席を立って取りに行きたいものがありません。ただ、アイスクリームやケーキなどデザート類は豊富で評判らしく、女性客が多いのは納得でした。
ビュッフェランチは「浅草ビューホテル」上階がおすすめ。東京スカイツリーが目の高さで望め、下には浅草寺全景が見渡せて、ビール・ワイン・魚介肉料理も眺めのせいかどれも満足でした。料理の味と品数ではバイキング(日本のビュッフェ)料理元祖の帝国ホテルが一番。都心の眺めも楽しめます。数年前まで立川に系列の「ザ・クレストホテル立川」があって、ここで法人会主催のフランス料理の夕べがあった際、帝国ホテルの元総料理長村上信夫さんの講演を聞きましたが、若かりし料理長がバイキング料理の創設者でした。
話は戻りますがヒルトン東京を出て、新宿駅に戻る途中、小さなカフェを見つけてみんなでビールやワインを飲みなおしました。
7月号 「ガバちゃん」
『ガバちゃん』と言っても誰のことかわからないと思いますが、筆者がここ6年来飼っている金魚のことです。朝、えさがもらえることが解かっていて、人影が写ると水面に上がってきます。エサは赤虫の半生加工したものと、クロレラや魚のすり身を乾燥させた球状のものですが、半生のものは柔らかく、すぐ食べられるので競って食べ始めます。ガバついてがつがつ食べるので「ガバ男」と「ガバ子」と言う名前が付きました。家の裏庭に置いた口径・高さともに50センチほどの素焼きのかめが水槽です。元は金魚すくい用の「子赤」と言われる3・4センチのもので1匹50円でした。最初に5匹を飼いましたが1・2週間で4匹が死んでしまい、その後さらに3匹を追加してこちらも2匹は直ぐに亡くなり、結局、環境に順応した2匹が大きくなりました。
最初の金魚はやや小ぶり、色も橙に近く体長は26・7センチになって、これがガバ子。
あとから来たガバ男は先輩を追い越し、体長は30センチほどの堂々たる体躯、赤みが濃いので見分けは簡単です。冬はヒーターで水温15~18℃、夏は西日除けをしても30℃ほどになりますがよく耐えて毎日鬼ごっこをして元気に泳ぎ回っています。2・3か月ごとにかめの掃除と水替え、フィルターの交換や水草整理と手間もかかります。掃除が終わってバケツからかめに移すときは手づかみです。捕まえると暴れますが両目をふさぐとおとなしくなって、一時のスキンシップですがきれいになったかめに放すと嬉しそう。愛犬「レオン」亡き後の小さなペットです。
このガバちゃんたちが5月連休のさなか、姿を消しました。朝、覗くとエアポンプのホースが外れ、水は濁って2匹の姿がありません。今まで動物に荒らされたことはありませんでしたので金網のカバーも使わずじまい。周りに残骸もありません。よく見ると近くにうろこが散らばって光っていました。ネコには獲物が大きすぎ、かめから引き出すのは難しそうです。アライグマやハクビシンは手で物をつかめますからきっと彼らの仕業と思われます。翌日、念仏を唱えながらあとかたづけをしました。
町の農林振興係の報告では平成30年度の獣害対象動物捕獲数はイノシシ43頭、以下タヌキ20・アライグマ16・ハクビシン5・アナグマ5頭となっています。東京の西はずれ、牧歌的な田舎住まいですが動物との近所づきあいにも難しいのもがあります。
6月号 「大岳鍾乳洞」
『大岳鍾乳洞』は東京都あきる野市の西はずれに位置し、奥多摩山系大岳山(おおたけさん)の山麓にあります。この鍾乳洞、都の天然記念物に指定されていますが、個人所有です。個人持ちの鍾乳洞があるとは知りませんでしたが、実は筆者の次女は鍾乳洞の所有者一家に嫁ぎ、今では両親に代わって夫婦で鍾乳洞の運営管理をになっています。
鍾乳洞は昭和36年(1961年)に夫君のおじいさんが発見し、内部を整備したのち翌年公開したもので、洞内全長300m。おじいさんが亡くなった後は息子夫婦とおばあさんで切り盛りしていましたが、おばあさんも数年前に他界しました。受付係を務めて100歳の看板娘として評判でした。近くを流れる養沢川の洞を挟んだ上流と下流にはキャンプ場も併設されていて、この10連休は友人数人の応援も頼んでどれも盛況だったようです。また、行楽客以外にも都内とは思えない山間・谷合のロケーションを利用して、テレビドラマの事件現場や旅・観光番組などの撮影に一帯が使用されることもしばしば。人気の出演者の場合は放送後に撮影地の見物に訪れるファンもいるとのことです。
10連休を終えて、しばらくぶりで次女が訪ねてきました。持ってきたパンフレットを差し出し「これ、私がつくったの!」。見て驚きました。駅などにおいてある観光地のパンフレットと変わりない、鍾乳洞の案内です。もともと、今では副業になったヨガ教室や付属の喫茶店用のブログ作成など、アイフォンでの画像やテキストづくりは得意でしたが、パソコンは不得手でした。聞けば、近所のイオン日の出店のパソコン教室にPC購入込みで一か月半通い、その後このパンフレットを作って1万部印刷したと言います。武蔵野美術短大出でこうしたセンスがあったのでしょう。お店やサークルなどのパンフレットやカタログつくりも仕事の一つに加えるつもりで勉強したとのこと、鍾乳洞はその第一作でした。
何事もやり始めたら中途半端で終わらないまじめな性格が功を奏した結果です。
鍾乳洞は更に奥があり、照明・見学路などを設置していつかはもっと広げたい、売店休憩所のレイアウト、お土産や飲食メニューも工夫したいなど、抱負はいろいろあるようですが、こつこつ進めて納得のいく鍾乳洞とキャンプ場にして行ってください。
応援してま~す!
註:大岳鍾乳洞・大岳キャンプ場のHPはこちら
5月号 「人力車」
『人力車』は日本人の発明した乗り物であると子供のころに聞かされたが、汽船・自動車・飛行機などに比べてたいした発明ではないな、と思ったことを覚えている。
この日本発の人力車、馬や籠に代わって明治の初期から急速に普及し、わが国だけでなく「リキシャ」などと呼ばれて中国・インド、東南アジアに多数輸出された。明治期には重要な市内交通の手段だったが、次第に馬車や鉄道に押され、自動車や円タクも走り出して大正期をピークに衰退していったという。戦後の一時期、自動車や燃料不足からわずかながら復活したというが、筆者の鼻ったれ時代の錦糸町や亀戸では見た記憶がない。余談だがこのころよく目にした乗り物はGIが運転するジープで、後ろには例のスカーフをした2・3人の日本人女性が乗っていたものだ。
さてその後、蒸気機関車が廃止されていった昭和40年代末には、逆に人力車が観光用として復活し出し、現在では京都・飛騨高山をはじめ鎌倉・浅草・小樽など主な古都・城下町・港町には車宿ができて気軽に乗れるようになった。この3月に名鉄犬山ホテルに宿泊する機会があり、犬山城とその城下町を散策したが、貸衣装屋で江戸・明治期の着物に着替えて買い物や人力車に乗ることが若い女性たちにはやっているようで、あちこちで見かけた。
実は都の産業技術研究センターの共同研究事業の一環として「電動アシスト人力車」を開発して、オリンピックまでには実用化するというプロジェクトが進行中で、ハード・ソフト・車宿など5社が参画している。当システムクラフト社もその内の1社。当然坂道での走行試験が必須だが、道路交通法により試験は私有地で行う必要があるとのことで、本コラムでも紹介した日の出町の鹿野大仏参道が候補となった次第。幸い大仏のある寶光寺住職の好意により、先月4月に浅草えびす屋の車夫により走行試験が行われた。道路勾配はアイフォンアプリの計測で3~11度(5~20%)、アシストが作動すると2人乗っても十分に登れるパワーは確認できたが、スムーズな加減速・坂道発進などに改良の余地があるとのことだった。オリンピック頃には女性車夫が外人観光客を乗せて坂道も何のその、さっそうと走り回って評判になることを願っている。
4月号 「歯科治療」
現在「歯科治療」中、と言っても抜歯が済みあとは1か月後に結果を見ることになっています。昨年暮れに左下奥歯の虫歯再治療が終了し、今度は時々化膿していた右奥のブリッジ部の治療と言うことになりました。10年ほど前に右下の奥歯(第2臼歯)が抜け、最後まで生き残っていた親知らず(第3臼歯)と隣の歯(第1臼歯)でブリッジを構成して今まで使用していましたが、なにせ親知らずは他の歯と比べて根が浅く、隣の分までかむ力を分担させるには無理があったのでしょう。その上、左奥の治療中はもっぱらこちら側を使いましたから、動き出してとうとう抜くことになった次第。親知らずは別にして今まで欠けた歯はブリッジしたこれ一本ですから年齢(後期高齢者)としては歯が丈夫だと言われました。筆者の育ちざかりは戦後の食糧難時代で虫歯の要因になるような甘い飲食物はほとんどなく、結婚することになって初めて歯医者に行きましたが虫歯は皆無でした。
筆者の母親は97歳まで生きましたがほとんど自分の歯でした。80代で抜歯するときにこんなに抜けない歯は初めてだと医者を驚かしました。また、50代ころまで栓抜きが見つからないと歯でビールの栓を抜いて周りを仰天させていましたからなまじの強さではありません。我々兄弟の歯の丈夫さも母親譲りだと思いますが、本人の言では結婚したころから丈夫な子を産むために毎日「ワダカルシューム」を飲んでいたとのことで、遺伝より今で言うサプリメントの効果で歯や骨が丈夫にとなったと言うことでしょうか。
さて、今回の抜歯跡がふさがっても奥で支える歯が無くなりブリッジができませんから、もともとなかった奥歯をインプラントにするというのがおすすめの処置のようです。インプラントに関しては賛否両論、あごの骨が溶ける周囲炎などでせっかく入れた土台のソケットを抜くなどの問題もあり、今のところインプラントは不要と答えています。先生は何かほかの方法で対処すると言っていますが、とりあえずこのままにしておいて支障があればそれから対応しても良いと思っています。命の寿命と歯の寿命、歯の方が圧倒的に長いはずですからあわてる必要はなさそうです。
3月号 「競馬」
『競馬』の配当金に史上最高額の4億7180万円の新記録が生まれた。つい先月24日のレースでのこと。ネット販売限定の「WIN5」と呼ばれる投票法の当たり馬券の賞金で、この馬券の売上総額は6億7401万円、100円馬券674万枚分だが当たりはたった1枚。売り上げの70%の払戻金全額の一人占めとなった。このレースは当日阪神・中山・小倉の各競馬場で順に行われた第10・11レースの5レースすべての優勝馬を当てるというもので、3連単から単勝まで数ある勝ち馬投票方法中でもっとも的中確率が低いもの。他に、現在までの最高配当額は3連単2980万円・3連複695万円・馬単150万円・単勝に至っては57千円となっていて、億馬券が頻繁にでるWIN5はまさに一獲千金のギャンブルと言える。
この賞金、無税で申告不要と思いきや、所得控除50万円で確定申告が必要とのこと。当選者が特定できなかったり、今までつぎ込んだはずれ馬券の購入費を必要経費として控除するにも検証できなかったりなど、高額の賞金では税額が紛糾するケースも多いとのこと。
もうひとつ。中央競馬ではこの1週間前の17日に初のG1レース(トップグレイドのレース)出走の女性騎手が誕生し、人気を博した。この初戦は終盤の追い上げにもかかわらず5位となったが今後が期待されている。ところで、フランスは競馬大国で既に女性騎手が2割近くを占め、彼女たちの活躍で売上・女性優勝ともに急上昇したというから、わが国でも最高額や女性騎手のニュースが競馬ファンを増加させるかも知れない。
筆者に関しては、大学時代に千葉在住の同級生と中山競馬場で一日過ごし、小遣いを掏ってしまったこと。70年代に錦糸町の楽天地で適当に買った、日本ダービーの1-2・3-4・5-6・7-8の連勝複式特券(1000円券)の一枚が当たり、1万円ほどになったこと、帯広ばんえい競馬でそりレースを見たことぐらい。現役時代は会社の隣が「ウインズ立川」で、昼休みにせっせと馬券買いをする社員もいたが儲けた話は聞かずじまいだった。すべからく、ギャンブルと株式投資は遊び金の遊び買いが賢明のようだ。
註:「ばんえい競馬」は2007年8月号参照
2月号 「東海林太郎」
『東海林太郎』と言えば戦前から昭和40年代半ばまで活躍した歌手です。マイクの前で
直立不動、丸いロイド眼鏡に燕尾服と言う定番スタイルで、「赤城の子守歌」、「麦と兵隊」、「旅笠道中」などのヒット曲が多数あります。NHK紅白歌合戦は第1回から数回出演、昭和40年には紫綬褒章を受けたのを機に同年の第16回紅白に最後の出場をはたしました。流行歌の大先輩と言えるでしょう。
ところで、筆者の歯科主治医は女医さんで、医院は立川駅の南口にあります。奥歯の治療がそろそろ終了と言うときに、「次回が私の最後の担当になります。」とのこと。その次回に今後どうするかを聞いてみると、郷里に戻るとの返事。それが秋田で市内と言います。
実は東海林太郎は秋田市出身です。秋田駅からほど近いところに生家あとと「東海林太郎音楽館」があって、館長は東海林太郎と同じ早稲田大学出身、筆者の古い友人です。一昨年春にこの佐々木館長の案内で音楽館を見学しました。女医さんに話すと、案の定、「知りませんでした」。
この音楽館、ビル2階の元喫茶店を改装したもので、1階は榮太樓の和菓子店。入口にポスター程度の案内板で、市内でも知る人は少なそうでした。しかしながら、内部は褒章を胸に例の正装で来館者を迎える等身大パネルや勲章、直筆の掛け軸・扇子、レコードとジャケット、系譜や写真がずらり。なかなかの見応えです。隅に生家の玄関が復元されていますが、この玄関を開けるとなんと、中は横綱大鵬の記念品展示室でした。こちらも優勝杯を持つ横綱のパネル・化粧まわし・トロフィー等記念品が狭いながらも壁面一杯。音楽館に刺激された菓子店の奥さんが空いていた一室にコレクションを展示したそうです。
東海林太郎と横綱大鵬、活躍時期に重なりはありますが会ったことはあるのでしょうか。地元も知らない秋田の名所です。昨年暮れ、秋田に帰った女医のNさんはもう訪問したでしょうか。
註:音楽館はNPO法人東海林太郎伝承会の運営、所在地:秋田市大町2丁目1-11
1月号 「新元号」
今年の5月1日から『新元号』に改元されます。ご承知の通り、今上明仁天皇の退位によるもので、崩御によるいわば突然の改元と比べて国や社会に準備や気持ちの上でも余裕が生まれ、歓迎です。平成の幕開けでは昭和天皇の崩御によるお悔やみが裏にあり、新天皇誕生を率直に喜ぶことができませでした。85歳の誕生日が過ぎてもなお、皇后さまと共に公務に臨む姿に感銘を受けますが、もう少しでこうした務めから解放されることに国民の一人として安堵を覚えます。長い間、ありがとうございました。
さて、元号に関してのおさらいです。わが国の文化・風俗は中国の影響抜きには語れませんが、元号(年号)も中国にならったもので、大化の改新で知られる「大化」が最初の元号で西暦645年のこと。以来綿々と続き、平成は大化以来231番目の元号とのこと。中国は清朝が最後の元号となり、朝鮮半島やベトナムでも戦後で元号を廃止し、今や元号を採用している国はわが国のみとなりました。帳票・申請書などの印刷コスト、コンピュータの数式やデータの変更、一年に2つの元号の存在、西暦と2本立てで年齢計算等のわずらわしさなど不都合は数々ありますが、一生に2・3回しかない改元です。何とかしのいで世界文化遺産ともいうべき元号を維持してほしいと思います。天皇に関しては、神武天皇を始祖として、今回の皇太子徳仁親王の新天皇即位で126代目とされています。江戸期までは天変地異や吉兆などで同一天皇の代でも頻繁に元号が変えられましたが明治以降は天皇一代一元となりました。
新元号は改元の一か月ほど前には発表されるようですが、どんな元号になるのでしょう。感じが良い・書きやすく読みやすい・その上何か由緒のある漢字2文字がヒント。頭文字の略称がMTSH以外であることも必要かも知れません。歴代の元号で使われた文字は72種。永・天・元・治・応が20回以上、和と正は19回使われ、昭と成は昭和と平成が初出とのことです。こうした条件で既に巷間ではいくつかの候補が取りざたされていますが、元号の公募は論外としても年号当てクイズでもあれば結構応募者は多そうです。いずれにしても良い時代が予感できそうな元号を期待しています。